太田述正コラム#2409(2008.3.8)
<皆さんとディスカッション(続x80)(その1)>
<遠江人>
>しかし、このブログに出てくるエピソードは、スウェーデンの特殊性に照らして理解されるべきだと思います。(略)(コラム#2403。太田)
 なるほど、そう言われると、スウェーデンの例だけで他のヨーロッパのすべてを十把一絡げに見るのは早計でした。
 過去の歴史において日本(列強としての黄色人種)を特段意識する機会が無かったことと、地形的にも直接的な脅威といえるものが比較的少なかったことで、(世間知らずな?)スウェーデンには、古い偏見のままの黄色人種差別が残ってしまっている?とか存外あるかもしれませんね。何にしても差別される側はたまったものではありませんが・・・。
 ところで紹介したサイトの体験談の中には、イスラムの差別のことも書かれていますが、これはつまりスウェ―デンも他の先進国同様、中近東の移民を受け入れているということです。国民の一部に人種差別感情があるとしても、国としては移民の受け入れをしているわけで、このことだけを取ってみても、スウェ―デンは日本よりも国際的にはよほど立派な国だといえますね。
<コバ>
 京都で共産党が強いワケは?
産経新聞(
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080307/lcl0803070338000-n1.htm
)で、竹内氏が京都で共産党が強いのはなぜなのか考察しています。それによれば、渡来人(弥生人)は<寒冷地である>北方からきた平等主義、革新的な考えの持ち主なので、共産党支持が多いのでは、とのことです。北海道なども革新系の勢力が強いですが、縄文人が寒冷な土地に住むようになると、平等主義や革新の気風を持つようになるのでしょうか。
<太田>
 こりゃ面白いコラムですね。
 皆さんもぜひ目を通して下さい。
 私以外にも縄文・弥生的視点で日本社会を論じる人がいることを知って心強い限りです。
 ただ、弥生人が仮に一夫一妻志向だとしても、だからと言って平等主義志向だとまでは言い切れない気がします。他方、弥生人がどうして革新的なのか、竹内さんは説明されていません。
 私は、稲作や鉄器を携えてはるばる日本にやってきた弥生人は、自然や社会を変革可能であると考える傾向があると考えています(コラム#2385等)が、それだけで弥生人たる京都人の共産党好きは説明がつくのではないでしょうか。また、北海道で革新系の勢力が強いのも、わざわざ「内地」から新天地を求めて北海道に渡った人々には弥生人や弥生人的縄文人が多かったということではないでしょうか。
<FUKO>
人権擁護法案はキナ臭い法律ですね・・。
 こんな法律を推進する自民党には、やはり政権を任せてはおけません。(もちろん自民党に圧力をかけたであろう公明党にも。)
 もしこの悪法が成立したら民主主義は機能していないことが如実に示されることになると思います・・。
 太田氏はどのようにお考えでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E6%93%81%E8%AD%B7%E6%B3%95%E6%A1%88
<太田>
 コラム#2316で既に、「人権擁護法案の問題については、そもそも、立法の必要性に疑問がある、というのが率直な私の感想ですが、皆さんの論議を見守りたいと思います。」と申し上げています。
 ところで、コラム#2407を書いた後で気になったのですが、「旧軍の評価は<太田さんより>佐藤氏のほうが厳しいです」とは、いかなる意味でしょうか。
そもそも、旧軍の評価など余りやった記憶がないのですが。
<バグってハニー>
 最初に、佐藤守氏の方をとりあげます。
以下は、お義父さまが寺井義守海軍中佐(日米開戦時ワシントンの日本大使館付きの武官で、実は日本側宣戦布告書の電信をそれと知らずに受け取っていたという因縁がある)で、自身も戦闘機パイロットであった佐藤守氏のコラムの中でもっとも秀逸であると私が思ったものです。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070601/1180667743
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20070604/1180920574
この中で佐藤氏がなぜ日本が特攻という手段をとったかについて、パイロット養成計画の不備という問題点を具体的に指摘しています。
戦争が始まっても平時の感覚から抜けられない、予算が弾力的に運用できないというつまらぬ官僚主義、パイロット増強計画をまとめた寺井義守海軍中佐が米国帰りであったために、なかなか彼の案が承認されなかったというつまらぬ派閥主義などが指摘されています(なんだか今とまったく変わりがないような)。
だから、佐藤氏は国家の無策のために特攻という手段をとらざるを得なかった大西瀧治郎中将に対して同情的なのですが、当時は今の自衛官と違って軍人には政治的発言力がありましたから、この指摘は少し同業のよしみが強すぎるのではないかと思いました。
それはともかく、佐藤氏の論考は特攻の悲劇がなぜ起こったかについて、単に敢闘精神を称えるだけや非人間性を批判するのではなく、合理的な組織論としてアプローチしていて大変興味深かったです。
<太田>
 佐藤守さんの書かれたものを初めて拝読しました。
 皆さんが、佐藤さんの上記コラムをお読みになったという前提でコメントします。
 「当時の<日本の>各界首脳・・には・・日米が戦うという気がまったくなかった」のは事実だとしても、海軍は違います。
 「当時の陸海軍首脳の頭の中に「航空戦力の特質」についての知識と考察がなかった」も海軍に関しては違います。
 開戦初頭の真珠湾攻撃やマレー沖海戦における日本の勝利は、海軍が「航空戦力の特質」を少なくとも当時の米国や英国の海軍に比べ、より「知識」を持ち「考察」していたからです。
 これによって、米国も英国も覚醒するわけですが、そんなことはどうでもよい、とにかく開戦後、日本はもっと航空戦力に資源を傾斜配分すべきだったと佐藤さんがおっしゃりたいのなら、「パイロット養成計画の不備」なんて末梢的なことを引き合いに出されてはいけません。
 当時の米国と日本のGDP比は10対1(典拠省略)で、米国はドイツ等とも戦ったのに対し、日本は支那等でも戦っていたわけですから、それぞれの対日戦、対米戦に割ける資源(技術力も含む)に10対1のオーダーの差があったと考えてよいでしょう。
 これだけ圧倒的な差があったのですから、帝国海軍が航空戦力にどれだけ資源を傾斜配分したってたかがしれています。
 この限られた資源を、更に航空機、航空燃料、操縦士、整備士等にどう振り分ければよいと言うのでしょうか。
 航空機の数も質も米軍に比べて相対的に落ちてゆく。
 練習機の数も碌に確保できない。
 練習に割ける航空燃料も碌に確保できない。
 当然パイロットの数も質も米軍に比べて相対的に落ちてゆくことにならざるをえない、というだけのことでしょう。
 「一年間・・操縦者<大量>養成計画・・の実施が遅れ<てしま>った。」とか、「飛行訓練<も>それまでの約2年から約1年に短縮され<てしまった。>・・やっと離着陸できる程度のパイロットでは、十分な実戦体験を積んだ米パイロットに太刀打ちできる筈がない。」と海軍を批判するのは簡単ですが、それじゃ一体どうすればよかったのですかね。
 はっきりしていることは、有人巡航ミサイル攻撃とも言うべき特攻攻撃は、圧倒的な戦力差が日米両海軍間についてしまった時点では、(米軍が対処戦術を編み出すまでは(コラム#523)、)帝国海軍にとって、最も費用対効果比の高い「合理的な」戦術であったことです。
 「空中戦闘訓練も受けていない彼らに出来ることは特攻しかなかったのである。」と佐藤さんに言われると、ちょっと違うのでは、と言いたくなります。
 (特攻攻撃については、コラム#64、345、1539、1739も参照されたい。)
 そんな戦術を行使せざるを得なくなる前に日本は降伏すべきだった、いやそういう羽目に陥るのは必然だったのだから、そもそも対米開戦をすべきでなかったというのは、全く別の話です。
 ついでに一言。
 佐藤さんの話を受けて、ハニーさんが「つまらぬ派閥主義」と総括された、当時の海軍内の「非合理的な」海軍組織内抗争、ひいては陸海軍間の「非合理的な」軍部組織内抗争についてですが、それよりもっとひどい「非合理的な」組織内抗争が(米英豪軍内においても、また)米軍内でも行われていたけれど、「米参謀本部は、米国の富と生産力のおかげで、全く優先順位をつけることなく、これらすべての希望を充足させてやることができた」(コラム#2127)ことをお忘れなく。
(続く)
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太田述正コラム#2410(2008.3.8)
<先の大戦正戦論から脱する米国?(その1)>
→非公開