太田述正コラム#2055(2007.9.10)
<つい最近できたばかりのフランス(その1)>(2008.3.13公開)
1 始めに
 私は以前(コラム#96で)、「<イギリスとフランスにまたがった>アンジュー「帝国」<の崩壊に伴う>13世紀におけるイギリスの「独立」こそ世界最初の国民国家(Nation State)の成立であり・・<この>アンジュー「帝国」が復興し、フランスのブルボン王朝を打倒する一歩手前までの大スペクタクルが展開するのが、・・1337~1453年「英仏」百年戦争です。15世紀における百年戦争の勝利によるフランスという第二の国民国家の成立を契機に欧州はフランスを模範として国民国家の時代を迎える、と私は考えています。」(注1)と記したところです。
 (注1)アンジュー帝国(Angevin Empire)と言われても訳が分からない読者が多いと思うが、コラム#96参照のこと。なお、コラム#61で1291年にスイス地方のドイツ語圏の三つの地域が手を携えて、ハプスブルグ家の封建的支配からの独立を果たしたことが、欧州における最初の国民国家の形成である、と記したところだが、これは孤立的な事件であったと考えるべきだろう。
 イギリスのフランス文学史家であるロッブ(Graham Robb)が上梓した’The Discovery of France’は、私のこの認識の後段は誤りであることを明らかにしてくれました。
 ロッブによれば、フランスなる国民国家が成立したのは、ごく最近のことだというのです。
 (以下、特に断っていない限り
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,2165224,00.html
(9月9日アクセス)、及び
http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/history/article2263977.ece
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/09/08/borob108.xml
http://fanset7.blogspot.com/2007/09/discovery-of-france.html
http://www.ft.com/cms/s/0/f59d5f16-5b5e-11dc-8c32-0000779fd2ac.html
(いずれも9月10日アクセス)による。)
2 ロッブの指摘
 (1)フランスとはどんな国か
 1961年10月17日、パリのど真ん中でアルジェリア戦争(1954~62年)に反対する3万人のアルジェリア人の非武装で平和的なデモ隊を警官隊が襲い、70~200人を虐殺し何百人に怪我を負わせ、死体をゴミ箱やセーヌ河に投げ入れるという事件(Paris massacre of 1961)が起きる。
 この事件が起こったことは、1998年まで秘密にされてきた(注2)。
 (注2)これは、ヴィシー政権下でナチスのユダヤ人迫害に手を貸すという人道に対する罪を犯したとして1998年に有罪を宣告されることになるところの、警視総監のパポン(Maurice Papon)・・その後ジスカールデスタン大統領の下で財務相を務める・・が命じたものであることが判明する。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paris_massacre_of_1961
。9月10日アクセス)
 その3年後、ノートルダム寺院の近傍の橋にこの事件についての額が掲げられたのだが、いまだにフランス人の五分の四はこの事件のことを知らない。
 フランスは、欧州諸国中イスラム教徒の人口が一番多いというのに、現在の大統領が2005年11月に、暴動を起こしたイスラム教徒たる市民を「クズ(scum)」と呼ぶような国(コラム#945)なのだ。
 このフランスの凋落ぶりは目を覆うばかりだ。
 英語圏で知られているフランスの作家は、今や余りばっとしない小説家のウェルベック(Michel Houellebecq。1958年(?)~)くらいなものだし、フランスの哲学者に至っては皆無で、デリダ(Jacques Derrida。1930~2004年)が嘲笑的に思い出されるくらいのものだ。
 フランス料理の人気は下がるばかりだし、パリが流行の中心をニューヨークとロンドンに譲ってから久しい。
 (2)つい最近生まれたばかりのフランス
 実は、フランスなる国民国家は、つい最近最近生まれたばかりなのだ。
(続く)