太田述正コラム#2057(2007.9.11)
<つい最近できたばかりのフランス(その2)>(2008.3.17公開)
フランスの風景の多くはエッフェル塔(1889年建立)より新しい。
マラリア蚊だらけの沼が干拓されヒースが生い茂る土地や裸の山に木が植えられたのだ。ピレネー山脈のスペイン側の風景こそ、かつてのフランスの風景なのだ。
フランスの絵のように美しい地名の多くは観光業者や地図制作者によって創作されたものだ。
欧州のグランドキャニオンと称されるヴェルドン渓谷(Verdon gorges)・・フランス南東部に位置する・・だって1906年までは少数の木こりにしか知られていなかった。
カゴ(cagot)という、中世のハンセン氏病患者ないしサラセン侵略者の子孫とも言われる「呪われた人種」は、何世紀にもわたって南部フランス全域で迫害されてきた。20世紀になってからでさえ、その迫害は一部の地方で続いた。
1930年代まで、郵便配達員や羊飼い達はひがな長大な竹馬に乗っていたものだ。彼らは8マイル時のスピードで一日75マイル踏破することができた。
ナポレオンの皇后マリー・ルイーズ(Marie-Louise)が馬車でフランスを旅行した時には、羊飼い達が竹馬に乗ってお供をした。竹馬のスピードは馬車よりも速かったのだ。
また、カトリック教会の努力にもかかわらず、キリスト教以前からの巨石の前で豊饒を祈る儀式が20世紀初頭までフランスで行われていた。
しかし、それはフランスが変わったということであって、フランスそのものは昔から存在していたのではないか、と思う人がいるかもしれないが、それはとんだ心得違いだ。
ドゴール(Charles de Gaulle)は、246種類ものチーズがあるフランスを統治することの困難さを嘆いたが、これは大昔からのフランスの役人共通の嘆きなのだ。
つまり、フランスはその歴史の大部分の間、各地方の寄せ木細工でしかなかったのだ。
19世紀の中頃までフランス全体を網羅するまともな地図は存在しなかったし、共通語に至っては全く存在しなかったと言っても過言ではないのだ。
安い自転車が普及するまでは、フランスの大部分の人々にとって、半径15マイル以内の地域における、小さい納屋に収容できるくらいの数の人、が世界のすべてだったのだ。
ピレネー地方へ旅行した人が1837年に、「金星と土星が異なるように、一つ一つの谷が、隣の世界とは異なる小世界を形作っている。一つ一つの村が、一つの氏族(clan)、独自の形態の郷土愛を持つ一種の国家、の趣がある。それぞれが異なった様相を呈し、異なった意見、偏見、慣習を持っている。」と記している。
ナポレオンのマリー・ルイーズの前の皇后ジェセフィーヌ(Josephine)は、亭主ご指定の地図に従って旅行をしたところ、載っていた道路が想像上のものであったため、彼女の馬車を斜面をロープを使って下ろさなければならない羽目に陥った。
フランス全土が、地図、道路、鉄道、電信によって結びつけられたのは、20世紀になってからだ。フランス人全体が同じ日に同じ出来事が起こったことを知るという経験をしたのは、1914年8月の第一次世界大戦勃発の時が初めてなのだ。
19世紀にフランスで55の主要方言と数百の準方言が確認された。
19世紀には兵士や役人は地方に行くとガイドや通訳が必要だった。
1880年の段階で、標準フランス語が使えたのは全人口の約五分の一に過ぎなかった。
この標準フランス語なるものは、昔パリのフランス語と呼ばれていた代物だ。
1789年のフランス革命の頃は、全人口の11%にあたる300万人しか、このフランス語をしゃべってはいなかった。
そして、1863年に至っても、フランス軍の兵士の四分の一は地方語しかできなかった。第一次世界大戦の時、ブルターニュ人(Bretons=Brittany人。ケルト系の言語を用いていた)はフランス語ができなかったため、ドイツ兵と間違われてフランス兵によって射殺されるという事件が起こっている。
フランスなる国民国家が成立したのは、第一に19世紀末の都市への人口流入、次いで自転車の普及、更には第一次世界大戦の結果なのであって、それまでは、フランスという国家はあったかもしれないけれど、その内実は、各地方の寄せ木細工でしかなかったのだ。
3 終わりに
ドイツやイタリアは19世紀末に初めて統一国民国家になりましたが、この両国に比べてはるかに先行していたという印象のあるフランスだって実質的に統一国民国家になったのは19世紀末から20世紀初頭にかけてだったのですね。
イギリスや日本は、統一国民国家になった時期の早さだけとっても欧州諸国とは対照的です。
イギリスでは、(恐らくノルマン・コンケスト以前の)大昔から資本主義社会であってイギリス全域で単一市場が形成されていましたし、日本では徳川幕府が直轄領や親藩を全国に配置したことや、参勤交代制を導入したことで、江戸時代に早くも日本全域で単一市場が形成されました。
この結果、イギリスはもとより日本においても、欧州諸国よりはるか以前に国民国家が成立していた、ということになるわけです。
(完)
つい最近できたばかりのフランス(その2)
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