太田述正コラム#13328(2023.2.26)
<江間浩人『日蓮誕生–いま甦る実像と闘争』を読む(その12)>(2023.5.24公開)
「・・・立教開宗以来、日蓮の批判は念仏と禅に向けられてきた。
日蓮は法華第一を説く最澄(伝教大師)の直系を自認しており、その宗派的立場は天台僧である。
ところが佐渡以降、日蓮は本格的に密教(真言宗・天台宗)への批判を始める。
当時、国事に関わる秘法・祈祷は密教の占有であり、蒙古襲来に備える異国調伏の秘法・祈祷が、朝廷や幕府の命を受けて盛んに行われたからである。
法華経を第一とする日蓮にとって、大日経を第一として法華経を下す密教は邪教であったが、天台宗が密教を重用している以上、天台沙門を名乗る日蓮が密教批判を行うことは容易ではない。・・・
日蓮は佐渡流罪によって、法華経勧持品で予言された法難を、経文通りに受けた仏法史上、唯一の法華経の行者であると自覚する。
これは「法華経に帰命した者」、「法華経を体現した者」すなわち南無「妙法蓮華教」であるとの自覚を意味する。
何妙法蓮華経と呼称できる存在は、日蓮を除いて他にはいないという覚悟である。
日蓮はこの覚悟のもとに曼荼羅を図顕する。
曼荼羅は、そもそも大日如来<(注34)>を根本とする世界観を図示したもので、密教の修法・秘法・祈祷には欠かせない。
(注34)「大日如来・・・は、真言密教の教主である仏であり、密教の本尊。(日本密教においては)一切の諸仏菩薩の本地。・・・梵: Mahāvairocana(マハーヴァイローチャナ)を摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、大遍照、大日遍照、遍一切処などと漢訳する。摩訶毘盧遮那如来、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれる。・・・
大日如来の「智」の面を表したのが金剛界の大日如来であり、「理」の面を表したのが胎蔵界の大日如来であるとされ、この金剛界の智法身と、胎蔵界の理法身は一体不可分であるとされる。 金剛界の大日如来は智拳印を結んで周囲に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来の四仏を置く。これを金剛界五仏という。また、胎蔵界の大日如来は中台八葉院の中央に位して法界定印を結ぶ。東密では、顕教の釈迦如来と大日を別体としているが、台密では同体としている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E5%A6%82%E6%9D%A5
日蓮は、曼荼羅中央に本尊(中尊)として描かれた絵像の大日如来を、文字による南無妙法蓮華経に改め、「法華経の行者」を本尊とする世界観を図顕したのである。・・・
かつて日蓮は、称名流布に対峙して唱題流布を勧め、信仰の対象を阿弥陀仏から妙法蓮華経へ転換して法華信仰の再興を図った。
そして今度は、曼荼羅の本尊を大日如来から南無妙法蓮華経に改め、密教に対峙して新たな法華信仰の確立を図ったといえる この」(165~167)
⇒奈良の華厳宗の寺院である東大寺の仏像やかつての京都の天台宗の寺院である方広寺の大仏が盧舎那仏=毘盧遮那仏=法身仏、すなわち、大日如来、である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA ←東大寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E5%AF%BA%E7%9B%A7%E8%88%8E%E9%82%A3%E4%BB%8F%E5%83%8F ←東大寺盧舎那仏像
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%BA%83%E5%AF%BA ←方広寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E5%A4%A7%E4%BB%8F ←方広寺大仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%98%E7%9B%A7%E9%81%AE%E9%82%A3%E4%BB%8F ←毘盧遮那仏
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%BA%AB ←法身(発心)=法身仏
ことを想起すれば、日蓮は毘盧遮那仏を否定したことになるわけであり、真言宗(東密)・・真言律宗を含む・・と天台宗を否定しただけではなく、奈良仏教もまた否定したことに注意が必要です。
(但し、私は、法相宗は仏教ではなく、私見では単なる知的遊戯に過ぎないところの、唯識「思想」、だと考えている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9C%E4%BC%BD%E8%A1%8C%E5%94%AF%E8%AD%98%E5%AD%A6%E6%B4%BE
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%9B%B8%E5%AE%97
ので、ここでの奈良仏教は華厳宗だけを指しています。)
なお、「天台宗では、特定の・・・本尊が定まって<おらず、信徒の家では、>一般的には「座っている阿弥陀如来」を飾ることが多い」
https://www.lumiere8.com/choice/tendaishu.html
由であり、また、「台密<では>・・・本尊を久遠実成の釈迦如来<(注35)>としている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%8F%B0%E5%AE%97
由ですが、これは、歴史上の人物である釈迦なのではなくて、「釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく、遥かに遠い過去(久遠)から仏(悟りを開いた者)となっていたが、輪廻転生を繰り返した後についに釈迦として誕生して悟りを開くという一連の姿を敢えて示したという考え方」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AE%9F%E6%88%90 前掲
に基づくところの、超歴史的な人間を指しており、ダルマ(注36)(法/真理)の人格化であるところの毘盧遮那仏/大日如来、とは異なる、と受け止めることができるのかもしれません。
(注35)「久遠実成(くおんじつじょう)の仏とは、法華経の教えにおいて、釈迦は30歳で悟りを開いたのではなく、遥かに遠い過去(久遠)から仏(悟りを開いた者)となっていたが、輪廻転生を繰り返した後についに釈迦として誕生して悟りを開くという一連の姿を敢えて示したという・・・法華経の如来寿量品第16・・・化城喩品第7<に出てくる>・・・考え方。久遠成実、久成正覚などとも言う。「久遠」とは、仏語。長く久しいこと。遠い過去または未来。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E9%81%A0%E5%AE%9F%E6%88%90
(注36)https://kotobank.jp/word/%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%9E-94747
この受け止め方が正しいとすれば、日蓮は、台密を含め、天台宗は否定しなかったことになりますが・・。(太田)
(続く)