太田述正コラム#13338(2023.3.3)
<江間浩人『日蓮誕生–いま甦る実像と闘争』を読む(その17)>(2023.5.29公開)

 そんな大乗仏教の諸経の中で、厩戸皇子が高く評価したのは、彼が『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』で注釈したところの、『法華経』と『勝鬘経』と『維摩経』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%B5%8C%E7%BE%A9%E7%96%8F
であったことを思い起こしましょう。
 私に言わせれば、維摩経は、どれだけ勉強をしようと、悟る(=私の言葉にすれば人間主義者になる)ことなどできない、と説いたもの
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%AD%E6%91%A9%E7%B5%8C
であり、勝鬘経は、悟るには世俗的な利他的行為をすることが一番だ、と説いたもの(注42)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E9%AC%98%E7%B5%8C
であるところ、法華経についての説明は省きます。

 (注42)その中に出てくる十大受(十の大きな誓い)中に、「私は自分自身の享楽のために財産を蓄えることはいたしません。ただ、世尊よ、貧乏で苦しんだり、身寄りのない衆生<の>・・・ためには、大いに蓄えたいと思います。・・・私は身寄りのないもの、牢につながれたもの、捕縛されたもの、病気で苦しむもの、思い悩むもの、貧しきもの、困窮者、大厄にあった衆生たちを見たならば、彼らを助けずには、一歩たりとも見捨てて行ってしまったりいたしません。世尊よ、私がそのような苦しみに悩む衆生たちを見たならば、それらの苦しみから逃れさせるために、財産の蓄えをもって(彼らの救助を)成就してのちはじめて、私は身を引くでしょう。」とある。(上掲)

 なお、法華経と並ぶ大部の有名な大乗経典である「華厳経<の>・・・「十地品」(注42)には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C
とされているところ、ここでの利他行の中に、世俗的な利他的行為(人間主義的行為)は含まれていないのではないでしょうか。(注43)

 (注43)西暦40年~220年ごろに成立したとする説が有力な法華経
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E7%B5%8C
に対し、華厳経(Avataṃsaka Sutra)は3世紀末~4世紀に編集されたものとされているが、その中に収録されている「十地品(Ten Stages Sutra)」は、BC1世紀~AD1世紀の間に成立したとされている
https://en.wikipedia.org/wiki/Buddh%C4%81vata%E1%B9%83saka_S%C5%ABtra
https://en.wikipedia.org/wiki/Ten_Stages_Sutra
ところ、「「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E5%8E%B3%E7%B5%8C 前掲
というので、2月18日に、Bingチャットに「華厳経の十地品に菩薩が行なうべき十段階の修行が示されているといいますが、それを列挙してください」と聞いたところ、以下のような回答があった。↓
 「華厳経の十地品は、菩薩が成仏するまでの修行の階梯を説いたものです。その十段階の修行は以下のようになります。
1.喜地(きじ):初めて菩薩としての心を発し、喜びに満ちる。
2.離垢地(りごうじ):煩悩や障害を離れる。
3.発光地(ほっこうじ):智慧や功徳が光明となって現れる。
4.焔照地(えんしょうじ):智慧の火で無明を焼き尽くす。
5.難勝地(なんしょうじ):仏法に対する信心が固まり、他者にも教える。
6.現前地(げんぜんじ):仏や菩薩と同等の境地に達する。
7.遠行地(おんぎょうじ):無上の智慧に向かって遠くまで進む。
8.不動地(ふどうじ):何ものにも動揺しない安定した心を得る。
9.善慧地(ぜんえじ):一切法の真理を見通す智慧を得る。
10.法雲地(ほううんじ):無量無辺の功徳と智慧を備えて成仏する。・・・」
 しかし、7~10は、世俗的な利他的行為(人間主義的行為)とは言えないだろう。
 (念のためだが、7~10の説明の典拠を、私は発見できていいない。)

 また、厩戸皇子の頃に作られた玉虫の逗子には、ジャータカ物語として施身聞偈図の雪山王子や、捨身飼虎図の薩埵王子が描かれています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%BE%B3%E5%A4%AA%E5%AD%90
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%99%AB%E5%8E%A8%E5%AD%90
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%AB
が、これは、厩戸皇子が、ジャータカ・・本生経・・を輪廻を前提とした因縁物語(上掲)と捉えたのではなく、法華経的に世俗的な利他的行為(人間主義的行為)の推奨と捉えていたこと、を推察させるものです。(太田)

(続く)