太田述正コラム#2478(2008.4.10)
<英米軍事トピックス(その3)>(2008.5.16公開)
 しかし、研究してみると、そのまま現時点で米軍がお手本とはできないことが分かってきました。
 非正規戦で最も大切なことは、住民の人心を収攬することですが、英国はマラヤでは飴だけではなく、鞭も駆使しました。
 共産ゲリラが主としてそれに拠って戦ったところの、何十万人もの支那系住民は根こそぎ「新しい村」と称した収容所に移動させられ、そこで土地を与えられました。
 英国はまた、ゲリラを飢えさせるため、住民に対する食糧の供給を制限したりもしました。米は炊いて供給されることもありました。ジャングルに潜むゲリラに届けられるまでに腐ってしまうようにと。
 それに、マラヤ住民の大半は英国を支持していました。
 そして、マラヤは半島であり、境界は比較的容易に管理でき、ゲリラは外からの補給を殆ど受けることができませんでした。
 また、英マラヤ総督は、警備活動を軍事作戦より優先し、住民によって構成される部隊を活用したところ、一番肝腎なことですが、英国はマラヤの全権を掌握しており、その上総督は、マラヤにおける軍権と民権の長を兼ねていました。
 ですから総督は、ゲリラの植民地主義と戦うという主張に対し、住民に英国人と同等の権利を与えることも、更に最終的には独立させると住民に約束することもできたのです。
 現在のアフガニスタンやイラクの事情とは随分異なることにお気づきになると思います。
 このほか、米軍が最も参考にした本は、更に古いけれど、第一次世界大戦の時、アラブ人のオスマントルコに対する叛乱を扇動し、反乱軍とともに戦ったロレンス(T. E. Lawrence)の『智恵の7柱(The Seven Pillars of Wisdom)』でした。
 しかも、マラヤでの共産ゲリラとの戦いの頃や、いわんやロレンスが行ったゲリラ戦の頃と現在とが大きく違うのは、米国が、メディアの監視の下で、国際法学者達から詮索されながら非正規軍と戦わなければならなくなった点です。
 米国が非正規戦ドクトリンを策定する苦労がいかほどのものであったか察するに余りあるものがあります。
 (3)米非正規戦ドクトリンのエッセンス
 こうして米軍が策定した非正規戦ドクトリンのエッセンスを、正規戦と非正規戦とを対比しながら、要点をご説明しましょう。
 
  <正規戦>      <非正規戦>
一  近代的(modern)      非正規的(irregular)
二  組織的(organized)     非公式的(informal)
三  高度な(advanced)技術   手近な(at-hand)技術(technology)
四  兵站依存       兵站非依存(logistics-independent)
五  全国(national)志向    地域志向(local direction)
六  一貫した(coherent)教義 即席の(ad-hoc)教義(doctrine)
七  決戦(decisive battle)  襲撃と小競り合い(raids and skirmishes)
八  兵士(soldier)    戦士(warrior)
九 同盟(allies)    共犯(accomplices)
 これをご覧になると、おぼろげながら非正規戦のイメージがつかめるでしょう。
 若干補足しておきましょう。
 一の点ですが、例えば、銃声がした所をめがけて集まれといった具合に、非正規軍は近代的指揮統制抜きで戦うことがめずらしくありません。
 八の点ですが、兵士とは平時の生活から離れて訓練を受けた戦闘のプロであるのに対し、戦士とは平時の生活をしながら戦う者を指します。この場合、成人男子だけでなく、女性、子供、老人を含め、住民全体が潜在的戦士なのです。長期にわたって紛争が続き、戦士文化が確立している地域においては、小火器を保有し携帯することは必要でありかつ権利とみなされていて、住民の武装解除を行うことは困難です。
 九の点ですが、長期にわたって紛争が続き、様々なグループが反目し合っているような地域では、特定のグループと同盟関係を結んで地域の安定化を図ろうとすると、それは他の諸グループからはこの特定のグループの共犯になったとみなされ、執拗な攻撃の対象とされ、かえって紛争が悪化する場合がある、ということです。
 では非正規戦ドクトリンのエッセンスとは何か?
 全般的に言えば、正規戦においては、敵よりも高度な装備と組織を整備した上で敵と相まみえ、味方の損害を最小限に抑えつつ、迅速に勝利を収めることを眼目としますが、非正規戦では、決定的な敗北を回避できればそれでよく、場合によっては戦闘には負け続けても最終的には勝利できる場合すらあります。
 そこで、非正規軍と戦う場合には、敵に戦闘で勝利することよりも、住民の人心の収攬を目指さなければならないのであって、そのためには、軍事、経済、政治等がよく連携のとれた形の総合的な作戦を展開する必要があるのです。
(続く)