太田述正コラム#2554(2008.5.18)
<中共体制崩壊の始まり?>
1 始めに
胡錦涛が四川省大地震の被災地を視察した際、人民解放軍や武装警察を整列させているのをTVで見て、違和感を覚えていたところ、「学校倒壊など甚大な被害を受けた四川省北川チャン族自治県では、胡氏が16日に訪問した際、人民解放軍兵士らが胡氏を出迎えたため、捜索・救出活動が2時間にわたって完全に中断した・・・同県の元中学教員は・・・「救助隊は学校の門付近でしか作業しなかった。胡氏に同行のメディアが気づいて、写真を撮るようにするためだ」と怒りをぶちまけた。」という記事が香港英字紙サウスチャイナ・モーニングポストに出ました(
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080518-OYT1T00039.htm
。5月18日アクセス(以下同じ))。
中共当局がこんな馬鹿なことをやらかしたこと、胡錦涛が全くカリスマ性を中共国民の間で持っていないさそうなこと、被災者の間で中共当局への不満と怒りが鬱積している様子であること、「不敬罪」ものの被災者の声がメディアによって取材され中共国内でインターネットで流れた可能性もあること、は衝撃的です。
これは、中共体制崩壊が始まる前兆ではないか、と思いました。
2 体制の抱える根本的問題の噴出
(1)様々な問題の露呈
学校の倒壊が頻発し、死者・行方不明者の三分の一は生徒であり、これは役人と業者の癒着下の手抜き工事のせいであることが世界中に明らかになりました(コラム#2553(未公開))。
同じ理由で、食品の安全、薬品の安全、環境基準が蹂躙されているわけですが、こんなことは中共国民が誰でも知っていることです。
中共の国民所得の6分の1は賄賂だという推計もあります。人民解放軍の将校の階級すらカネで買えるというのです。
これは中共の裁判所や治安機関、そしてマスコミがまともに機能していないことと、役人を監視する市民団体が数少なく、しかも弱体であるためです。
救援活動も、温家宝首相がただちに被災地入りして陣頭指揮をとったはよいとして、ヘリコプターが遅れて、しかも不十分な機数しか投入されていないために、救援物資の輸送・投下や生存者の安全地帯への避難がはかどっていませんし、倒壊家屋から救出された被災者に施されるべき圧迫症候群(Crush syndrome)治療がほとんど施されていないために死者数が増えていますし、外国の救援隊の受け入れも遅れる、といった不手際が目立ちます。
(2)情報公開に至った経緯
以上のような事実は、メディアが報道したからわれわれの知るところとなったわけですが、そもそもどうして中共当局は情報公開せざるをえなかったのでしょうか。
かつては大事件のニュースをメディアが勝手に報じることは禁じられていました。
炭鉱事故など、どんな大規模なものであっても報じられることすらなかったのです。
ところが2005年、ハルビンの500万市民は、当局から理由を告げられないまま、水道水を飲まないよう指示されたところ、川の上流の化学工場で爆発が起きて川が汚染されたという事実がインターネットで流れ、メディアもこの事実を報道せざるを得なくなったのです。
つまり、インターネットの普及が中共で情報公開を促しつつあったわけです。
今回の大地震発生の翌日の13日、共産党政治局常任委員会の情宣局は、(1)で上述したような不都合な真実が報道されることを回避するためでしょう、メディア各社幹部に対し、救援活動に焦点をあてて報道すること、被災地に記者を派遣せずに新華社配信記事に拠ること、を(慣例に従い、記録が残らないように)口頭で指示しました。
そして14日、胡錦涛主宰の下で常任委員会が開催され、四川省当局に対し、「社会的安定」を確保するように指示しました。抗議行動を抑え込め、ということです。
15日までには、警察、軍、地域役人が被害の大きい被災地に外国人記者を中心として記者を入れないための検問を始めました。
しかし、13日の上記指示に反し、上海の新聞の2人の記者が空路被災地に一番乗りをし、続々と他の記者達も後に続いた結果、14日には情宣局は、13日の指示を事実上撤回することを余儀なくされます。
大事件に係る新華社による情報独占が公式に崩れた画期的瞬間です(注)。
(注)1889年の天安門事件の時は、なし崩し的に新華社による情報独占が崩れたが、爾後二度とそんなことがないよう、中共当局は腐心してきた。
とはいえ、実際には不都合な真実については、インターネット上は流れているものの、殆ど中共メディアは報道せず、もっぱら救援活動をプレイアップした自主規制的報道が中心です。
ただし、温家宝首相が転んで怪我をしたが治療を拒んだ、といった従来では決して報道されることがなかったような事柄を報じたメディアが出てきただけでも大事なのです。
(以上、
http://www.nytimes.com/2008/05/17/world/asia/17scene.html?ref=world&pagewanted=print
(5月17日アクセス)、及び
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/may/18/chinaearthquake.china、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/16/AR2008051603738_pf.html、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/16/AR2008051603272_pf.html、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/16/AR2008051603482_pf.html、
http://www.nytimes.com/2008/05/18/world/asia/18press.html?ref=world&pagewanted=print、
(いずれも5月18日アクセス)による。)
3 今後の展望
1986年4月にチェルノブイリの原発事故が起きたとき、ソ連当局の情報開示が遅れたために犠牲者が増え、国際社会の強い批判を浴びました。
グラスノスチ(情報公開)に向けてのソ連の画期的転機は1988年12月に起こったアルメニア大地震の時に訪れます。
何万人もの死者が出て諸外国からの援助が不可欠となったため、ソ連当局はアルメニアへの渡航制限を撤廃したのです。
外国人記者は、ソ連史上初めて事前に許可を得ることなく取材地たるアルメニアにかけつけ、(先の大戦中を除けばソ連史上初めて)米軍機を含む各国の航空機が援助物資を積んでアルメニアの首都エレバン(Yerevan)に飛び、現地で歓迎されました。
それからはあっという間でした。
ベルリンの壁が崩壊したのは翌1989年であり、ソ連自体も1991年には崩壊します。
こんなソ連の轍を踏まないよう、中共当局は、ソ連とは違って、政治改革(情報公開と民主主義化)を極力後回しにして経済改革(市場経済化)を推進してきたのですが、今回の大震災を契機に、中共にもついに体制崩壊の可能性が出てきたのではないでしょうか。
それにしても、大地震の威力は大変なものですね。
(以上、
http://www.nytimes.com/2008/05/18/weekinreview/18taubman.html?ref=world&pagewanted=print
(5月18日アクセス)による。)
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太田述正コラム#2555(2008.5.18)
<ミヤンマーに人道的介入?(続)(その2)>
→非公開
中共体制崩壊の始まり?
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