太田述正コラム#2484(2008.4.13)
<チベット騒擾(続x5)>(2008.5.19公開)
1 豪ラッド首相とチベット問題
 (1)産経新聞の記事
 「中国は最大の貿易相手国だが、輸出だけでみると、依然として日本は最大の地位を占めている。・・<しかし、>昨年12月に発足したラッド労働党政権は日本の調査捕鯨に対し、・・激しく非難<した。また>・・ラッド<新>豪首相<は、このたび>・・同盟国・米国を真っ先に訪れたのは当然として、次に欧州諸国、そして中国を歴訪する。が、日本は素通りである。別に早足の歴訪というわけではない。18日間に及ぶ長期外遊であり、中国には4日間滞在する・・野党時代のラッド氏の海外出張費を中国企業が一部負担していた事実が最近明らかになった。そして胡<錦濤国家>主席は・・昨年9月<の>・・野党党首時代のラッド氏と<の>・・初会談の際、まるで褒美を与えるかのように、ラッド氏と家族を北京五輪に招待した・・<オーストラリアにとって>中国は最大の貿易相手国だが、輸出だけでみると、依然として日本は最大の地位を占めている<というわけで、>・・日中両国は豪州において競合関係にある・・知らず知らずのうちに中国の掌中でラッド首相は踊らされていないのか<心配でならない>。・・確実なことは、ハワード、安倍晋三両政権が退陣したことで、自由と民主主義という共通の価値観だけで共鳴できる日豪関係は終わりを告げたということである。」
 これは、産経電子版に載った同紙シンガポール支局長の嘆き節です(
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080406/plc0804060228001-n1.htm  
。4月6日アクセス)。
 (2)豪ラッド首相の講演
 しかし、(若干できは悪いけれど、)イギリス直系の自由民主主義国家の首脳であり、支那を熟知している上に、日本の調査捕鯨を激しく非難するような考え方のラッド豪首相が、(鯨と同じく、絶滅する懼れのある珍種であるところのチベット人に係る)チベット問題を抱える中共とうまくいくわけがない、ということをこの記者は思い至らなかったと見えます。
 案の定、訪中したラッド首相は、北京大学での講演で、諸外国の首脳の中で突出した率直な発言を行いました。
 彼は、チベットにおける人権問題を直視せよと語りかけたのです。
 そして彼は、自分は支那の、近代支那文化において最もねじ曲げられた概念となった「朋友(pengyou)」、「友誼(youyi)」・・「外国朋友(waiguo pengyou)」とは助けてくれて絶対に批判しない人を指す・・ではなく、7世紀の支那における「親友(zhengyou)」・・直接的な便宜を超えた、継続的かつ深甚、かつ誠実なる友情のためのより広く堅固な基盤を見つめる仲間・・でありたいと述べ、「強固な関係にして本当の友情は、相互の基本的な利害と将来への洞察に関する直接的にして率直かつ絶え間なき対話があって初めて築くことができる」と述べたのです。
 (以上、
http://newsweek.washingtonpost.com/postglobal/pomfretschina/2008/04/australia_to_china_lets_not_be_1.html  
(4月12日アクセス)による。)
 日本にも中共の「親友」を自認する政治家はたくさんいるけれど、「外国朋友」ばかりであり、ラッドのように北京に行って率直な物言いができる人はいないのではないでしょうか。その上、ラッドは北京官話でこの講演を行ったのですよ。
2 チベット史の真実
 (1)チベット史の真実
 ようやくチベットの歴史を踏まえて、チベット問題を論じた論考が米英の主要メディアに登場しました。
 前にも申し上げたように、英米のエリートにとっては、チベットの歴史の大筋など常識の部類に属するが故に、このような論考掲載の意味がなかったということなのではないかと私は解しています。
 米インディアナ大学のチベット学教授のスパーリング(Elliot Sperling)によるニューヨークタイムス掲載論考の概要をご紹介しましょう。一部私の言葉に直しました。
 チベット人は、チベットが7世紀中期以降独立を保ってきたと主張しており、13世紀と14世紀に元に隷属し、18世紀から20世紀まで清に隷属したように見えるかも知れないが、単に元や清の皇帝達の精神的指導者をチベットの著名な高僧(lama)が勤めたという個人的関係が存在しただけであり、チベットは一貫して独立を維持し続けたとしている。
 他方、中共当局は、支那(China)は何千年もの間、(少なくとも観念的には)一体的な多民族国家であり続けてきたのであって、支那の政権を奪取したモンゴル人だって支那人であり、支那の歴代政権に隷属してきたチベット人も支那人だとしている。
 この二つの支那史観ないしチベット史観のどちらもウソだ。
 チベット人が唱える個人的関係説は、元と清の行政文書や公定史書が、それぞれの規則、法律、決定にチベットが服していたことを記していることから簡単に論駁できる。
 しかし、チベットは元と清にこそ隷属してはいたが、漢人地域と並列の地域だった。また、元と清の間の明(1368~1644年)の時代には、その行政文書や公定史書から、チベットが独立していたことは明らかだ。だから、13世紀以降、ずっとチベットは支那の政権に隷属してきたとの中共当局の説もまた正しくない。
 そもそも20世紀初頭まで、漢人の文人達は、チベットは18世紀に清に隷属したとしていたものだ。しかも彼らは、チベットが、元の時代にそうであったように、清の皇帝の封建的支配下にある(feudal dependencyである)とし、漢人地域とは区別されていることを認めていた。
 清が1911年に崩壊した時、チベットは再び独立し、1912年から中共が成立した1949年まで、支那の政権はチベットに支配権を行使したことはなく、ダライ・ラマ政権がチベットを統治する状態が、1949年ならぬ、中共がチベットを武力で併合する1951年まで続いたのだ。
 すなわち、チベットは、1951年に歴史上初めて、漢人地域と区別されない形で、支那の政権を標榜する漢人の政権の支配下に置かれたのであり、中共当局の支那史観ないしチベット史観のウソの度合いは、チベット人のそれに比べてより大きいと言えよう。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/04/13/opinion/13sperling.html?ref=opinion&pagewanted=print  
(4月13日アクセス)による。)
 (2)コメント
 以上のようなチベット史の真実を踏まえれば、ダライ・ラマ14世の中共当局への要求は、チベットを清時代の法的状態に戻そうという中途半端なものであるところ、これでは中共当局もチベット人も飲めるわけがないでしょうね。