太田述正コラム#2498(2008.4.20)
<先の大戦正戦論から脱する米国?(続々)(その1)>(2008.5.25公開)
1 始めに
 4月4日に(コラム#2467で)「日本との戦争について、米英における既成観念を問い直そうとしているのはロサンゼルスタイムスであるのに対し、ワシントンポストは正反対のスタンスであり、他方、ニューヨークタイムスは、どっちともつかずのスタンスをとり、ひたすら日本との戦争の直視を避けて逃げ回っている・・・。この関連で、ニューヨークを拠点とする米国の有名なフリーランスのジャーナリストと、ニューヨークタイムス自身の、日本への原爆投下に関する、臆病かつ卑怯な筆致を<近々>問題にし・・たいと思います。」と記したところです。
 ところが、ワシントンポストが、4月17日付で原爆投下を批判する内容の書評を掲載したのです。こうなると、米国の有力紙3紙に関する評価は見直す必要が出てきます。
 というわけで、原爆投下問題に関する上記米フリーランス・ジャーナリストのコラム、及び上記ニューヨークタイムス(に掲載された原爆投下問題を主要テーマとする本に対する肯定的)書評のさわりをご紹介した上で、これらに対する私の批判を、ワシントンポストに掲載された上記(同じ本に対する否定的)書評のさわりを援用しつつ行いたいと思います。
2 フリーランス・ジャーナリストのコラム
 米国のフリーランスのジャーナリスト兼著述家であるローゼンバウム(Ron Rosenbaum)は、広島から米スレート誌に概略下掲のようなコラムを寄稿しました。
 広島に来てみると、被爆直後はひどかったけれど、時間がちょっと経過すれば、まあまあの再建計画さえあれば、立派に都市が蘇るものであることが分かる。
 1995年にアルペロヴィッツ(Gar Alperovitz)が『原爆投下決定(The Decision To Use the Atomic Bomb)』を上梓し、日本は降伏しようとしていたが、米国は、(日本が和平仲介を打診していたところの)ソ連との来るべき冷戦を予期しつつ、このソ連を畏怖させるために原爆を日本に投下することにした、と主張した。
 しかし、昭和天皇がどうなるのか、そして天皇制がどうなるのかが当時の日本政府の最大の関心事であり、原爆投下までは日本は確定的な降伏意思を固めてはいなかったので、このアルペロヴィッツ説はとることができない。
 (以上、
http://www.slate.com/id/2187282/  
(3月26日アクセス)による。)
3 ニューヨークタイムス書評
 米ニューズウィーク誌の編集陣の一員であるトーマス(Evan Thomas)は、英国のジャーナリスト兼編集者兼歴史家兼著述家のヘースティングス(Max Hasting)の『報い–日本との戦い 1944~45年(RETRIBUTION–The Battle for Japan, 1944-45)』(注1)についてのニューヨークタイムス掲載書評で、以下のようにヘースティングスの主張を要約した上、これに賛意を表明しました。
 (注1)この本の第一章の冒頭部分を、
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/style/longterm/books/chap1/retribution.htm
(4月20日アクセス)で読むことができる。
 先の大戦においては、英米側も日本側も無数の戦争犯罪を犯したが、日本側の戦争犯罪の方がはるかにタチが悪かった。
 日本兵によるサディスティックな行為は偶発的なものではなく制度的なものだったからだ。
 捕虜達や文民たる収容者達は餓死させられ、銃剣で刺し殺され、首を刎ねられ、強姦致死させられ、時には生体解剖された。
 だから、こんな日本が原爆を投下されたのは正当な報いだったのだ。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.nytimes.com/2008/03/30/books/review/Thomas2-t.html?ref=world&pagewanted=print  
(3月30日アクセス)による。)
4 ワシントンポスト書評
 これに対し、ピュリッツァー賞を受賞したオッペンハイマーの伝記の共著者の一人である米国のバード(Kai Bird。現在ネパールのカトマンズ居住)(コラム#2420)は、ワシントンポストに掲載された上記ヘースティングスの本に対する書評で、ヘースティングスが原爆投下は正当であったと主張するためにつくられた「日本がいずれにせよ降伏する用意があったという神話は最近の研究によって完全に否定されているというのに、何人かの論者がまだそんなことを主張しているのは呆れるほかない。・・こんな連中は幻想の行商人だ」とも記しているとした上で、以下のようにヘースティングスを厳しく批判しています。
 ヘースティングスが記していることは、一方的主張(assertion)に過ぎず、およそ議論(argument)の体をなしていない。
 3年前にカリフォルニア大学サンタバーバラ校のハセガワ(Tsuyoshi Hasegawa)は、広く好評を博した著書’Racing the Enemy: Stalin, Truman and the Surrender of Japan’(コラム#819、820、821、830、1849)において、原爆投下ではなくソ連の参戦こそが日本の降伏をもたらしたことを証明したというのに、ヘースティングスは読者にこの新しい証明の出現を知らせることを怠っている。
 当時、陸軍長官のスティムソン(Henry Stimson)、陸軍次官のマクロイ(John J. McCloy)、国務省のグルー(Joseph Grew)、陸軍大将のマーシャル(George Marshall)らや、ワシントンポストが、日本に対し、無条件降伏の条件として天皇を立憲君主として維持することを認めると明確に通告すべきである、としていたのに、大統領のトルーマン(Harry S. Truman)が耳を貸さなかったことこそ問題なのだ。
 そうしておれば、日本が降伏したかもしれないことをヘースティングス自身がこの本の中で認めているではないか。
 広島に原爆が投下される3日前の1945年8月3日に、トルーマン自身と国務長官のバーンズ(James F. Byrnes)、大統領首席幕僚であった海軍大将のリーヒ(William D. Leahy)は日本が降伏したがっていることを全員で確認していたではないか。
 しかも、米上院の共和党の指導部は、国務省が日本が望んでいることを知っていたところの、天皇制の存続の保証を与えずに戦争を長引かせているとして、トルーマンをあからさまに攻撃していたではないか。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/04/17/AR2008041703311_pf.html
(4月20日アクセス)による。)
(続く)