太田述正コラム#13376(2023.3.22)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その14)>(2023.6.17公開)
⇒高畠の売文社にもさほどカネがあったとは思えませんが、七生会がカネがなかったことは明らかであり、海軍軍令部から藤井に流されたカネは、七生会、具体的には、穂積五一(注31)、に相当部分が渡され、藤井が亡くなり、血盟団事件と五・一五事件が起こった1932年に穂積が学生宿舎の購入・整備を行ったのは、渡されたけれど残ったカネを有効活用しようとしたからだ、と、私は想像するに至っています。(太田)
(注31)1902~1981年。七高、東大法。「愛知県八名郡能登瀬村(現・新城市能登瀬)に生まれる。父親は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。弟に日本社会党衆議院議員の穂積七郎がいる。・・・
<大学を>卒業した年に上杉が死去。1932年(昭和7年)2月から3月にかけて血盟団事件が発生するが、帝大七生社の会員のうち4名が事件に関与、逮捕されている。同年、帝大七生社の学生宿舎である「至軒寮」を東京市本郷区に開設した。
1940年(昭和15年)8月、三上卓らとともに「皇道翼賛青年連盟」を結成した。満州移民に反対し、朝鮮と台湾の解放を唱え、朝鮮の独立運動家をかくまい、日米開戦後は「反東条」を掲げて戦争終結の道を探った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%82%E7%A9%8D%E4%BA%94%E4%B8%80
「・・・財部海相は・・・7月23日、・・・不満な東郷元帥らを押し切って、海軍部内は補充兵力の充実をふくめた「奉答文」を天皇に奏上し、条約を是認した。
<そして、>・・・条約批准の翌日(10月3日)に海相を辞任した。・・・
条約の批准には・・・枢密院での可決が必要であった。・・・
政友会<の>・・・犬養毅総裁<は>臨時党大会で「統帥権干犯」の失策を訴えさせた(9月16日)。
右派団体の日本国民党<(注32)>は、9月から10月にかけて「亡国的海軍条約を葬れ」などの檄文を多数作成し、枢密顧問官などを含む各方面に広く配布した。
(注32)「寺田稲次郎<が>・・・1934年11月長野朗らと日本国民党を結成し執行委員長を務める。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E7%A8%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E
その「書記次長<は>鈴木善一<。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%B1%E6%B2%BC%E4%BA%94%E9%83%8E
寺田稲次郎(1896~?年)。「佐賀県に生まれる。1917年福岡県立中学修猷館を卒業。・・・
1919年4月海軍兵学校の柔道師範となり、1921年大化会に柔道師範として入り、北一輝の門下となる。1923年大杉栄遺骨奪取事件に関与。米国の排日運動を怒り、野球の弊害を唱え米化討伐を宣言して、1924年7月秋水会を組織して代表となる。早稲田大学総長高田早苗の不敬言動膺懲運動を起こし、同年秋早大校友会の席上で高田を襲撃した。1926年日本楽器争議では会社側を支援、朴烈事件で司法省を糺弾、1928年平沼騏一郎排撃運動、不戦条約では田中義一内閣糺弾運動を展開した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E7%A8%B2%E6%AC%A1%E9%83%8E
永野朗(あきら。1888~1975年)。陸士。「陸軍大尉になるが大正10年待命。大川周明らとまじわり猶存社,行地社に加盟する。のち農本連盟,自治農民協議会を組織した。」
https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E9%87%8E%E6%9C%97-1096950
鈴木善一(1903~?年)。「大正15年建国会にはいる。昭和6年大日本生産党の結成に参加し,青年組織の大日本青年同盟の書記長となる。8年神兵隊事件に連座。」
https://kotobank.jp/word/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%96%84%E4%B8%80-1084114
井上日召派の青年たち(小沼正・菱沼五郎・黒沢大二(だいじ)・川崎長光ら)も日本国民党に実働部隊(「決死隊員」)として動員され、茨城から東京に上京していた。
<結局、>・・・9月26日、枢密院審査委員会は無条件無警告の審査報告を可決した。」(65~67)
⇒こちらの方のカネの流れは、藤井斉→北一輝→寺田稲次郎、ないしは、藤井斉→大川周明→長野朗→寺田稲次郎、だったのではないでしょうか。
とにかく、(営利組織で働いたことがないのでそちらのことはよく分からないけれど、)非営利組織に関しては、情報をより持っている方、and/or、カネをより動かせる方、が、そうではない方を動かす、つまりは、そうではない方がエラくない、と、相場が決まっています。(太田)
(続く)