太田述正コラム#2596(2008.6.8)
<皆さんとディスカッション(続x158)>
<SF>
>貴方が典拠、典拠と主張するたび、「ああー、この人は官僚だ、・・・典拠がある方が好ましいケースもあるが、太田氏の場合は一種の職業病かな。典拠は一種の保険のようなもので、批判を受けた場合にそれに責任を転嫁できる。
 全く違います。
 およそ、ある論点に対して、これまで全くの議論がなされなかったということは、通常なく、大抵は踏まえるべき過去の議論なり調査なりが存在するものです。
 自身の意見を組み立てるにあたっても同様で、それが何に立脚しているか、あるいは何と異なっているか、どこからが自身の意見であるかということを、読者にわかるように位置づけることが必要です。
 典拠が存在しないとすれば、それは調査不足の謗りを免れないということです。
 したがって、当然ながら、典拠の内容自体の文責は原著作者にあるでしょうが、それを典拠として用いたことに対する見識なりが問われるのは引用者側のほうです。
 こんなことは学部生程度の教育を受けていれば、文理問わず身についているはずの最低限の姿勢であり、大人の社会でまともな議論をするならば、その程度のことは理解されていないと、恥ずかしい思いをすることになりますよ。
 細田さんはこれまでそのような珍奇な考え方でご自身の考え方を論じたり、他者の意見を批判されてきたのだとしたら、ぜひお改めになることをお奨めする次第です。
<遠江人>
>私の指摘なるものの典拠(コラム番号)を付けていただきたかったですね。(笑)(コラム#2594。太田)
 確かに典拠について指摘のあるコラムの典拠をつけるべきでした(笑)
 とりあえず調べた限りでは以下の通りです。
– 典拠の必要性について言及のあるコラム
http://blog.ohtan.net/archives/50954856.html
コラム#977(2005.11.30)<ホロコーストはあったのか?(続x3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954854.html
コラム#979(2005.12.1)<差別・ホロコースト問題をめぐる残された論点>
http://blog.ohtan.net/archives/50954846.html
コラム#987(2005.12.6)<思い出される大学の頃(その1)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954552.html
コラム#1281(2006.6.7)<東大法学部群像(その5)>
http://blog.ohtan.net/archives/51019569.html
コラム#1696(2007.3.19)<日本人のアングロサクソン論(続)(その3)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954143.html
コラム#1715(2007.4.1)<情報屋台内での対話(続)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954060.html
コラム#1808(2007.6.14)<防衛庁再生宣言の記述をめぐって(続々)>
http://blog.ohtan.net/archives/51118618.html
コラム#2296(2008.1.13)<皆さんとディスカッション(続x35)>
– 典拠関連の言及のあるコラム
http://blog.ohtan.net/archives/50954329.html
コラム#1504(2006.11.13)<渡辺京二「逝きし世の面影」を読んで(その2)>
http://blog.ohtan.net/archives/50954032.html
コラム#1835(2007.6.26)<日本の新聞対私のコラム>
http://blog.ohtan.net/archives/51116602.html
コラム#2291(2008.1.10)<皆さんとディスカッション(続x32)>
 コラムで初めて具体的に典拠の必要性を語られたのは、恐らく、例のホロコースト否定論に対する批判の時と思われます。
<KAZU>
公の知等は別にして、典拠なしの主張は、個人的な思い付きか、plagiarizm=プレイジャリズム(盗用)のどちらかです。某著名評論家のサイトでは、典拠なしの日本人叙述スタイルを泥棒根性扱いしています。(典拠省略 汗–;)
 学生時代にこのことを習わない我が国はやはり遅れているとしかいえないと思います。
<細田>
 SFさん、感想を述べたようなコメントに対しても、太田氏が呪文のように『典拠』を求めておられたので、その原因を推測して見ただけですが。。
>およそ、ある論点に対して、これまで全くの議論がなされなかったということは・・
 承知してます。
>某著名評論家のサイトでは、典拠なしの日本人叙述スタイルを泥棒根性扱いしています。
 カズさん、コメントは論文じゃないんだから、そんなに力む必要もないかと。
 典拠にこだわってると新しい発想が生まれにくい気もするし。
 やはり、典拠と役人の悪しき前例主義は無関係じゃないでしょう。
<太田>
 掲示板上での議論をそのまま転載するのも芸がないけど、議論がかみ合っているのでお許しを。
 遠江人さん、私よりも太田コラム検索能力がありますね。
 こくぴとさんともども、御礼申し上げます。
<読者K>
 英国の某大学で研究者をしておりますKと申します。
 「典拠を示せ」という当然至極の要求を以て官僚呼ばわりをする人間がいるという事に驚倒というか絶望致しました。そういう人間が跋扈すると国策を誤るのでは。
 こちらで博士論文を書いた時もそうでしたが、おおよそ議論たるもの必ずその根拠が必要なのは常識だと思っていましたし、今迄その常識を疑う必要がある環境にいた事が全く有りませんので、斯様な連中の思考を理解出来かねます。例えば
“Twin-screw extruders have been widely used for the purpose of processing thermoplastics.” という何気無い(関係者には常識的な)一文でも、「本当にそうですか?」と聞かれた時に、根拠が無かったらどうするんでしょうかね。
 例えばこの記事の場合でも:
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/uk/article1875265.ece
根拠が無かったらRAF(英国空軍)の軍事官僚の怠慢だって追求出来ない訳ですよ。
 まあ、実験結果の無い工科系の論文も受け付けて貰えたら、非才なる小生は大いに救済されるのですが(苦笑)
<スワン>
 コラム#2594で、私の質問へのご回答、ありがとうございました。
 一生懸命、関連記事を探した甲斐がありました。
 学生時代、レポートや論文やレジュメを書くときは、こうやって参考文献を探したものだったと懐かしい気持ちになりました。
>アングロサクソン(米国も一応アングロサクソンです)は、(自由、人権、法の支配を重視する)リベラリズムの文明であるのに対し、欧州は、元来は反リベラリズムの全体主義的文明だからです。アングロサクソン文明から輸入されたリベラリズムは、まだ欧州諸国には十分根付いていません。
 えええそうなの?と驚いています。フランスは自由と人権の国だと思っていたんですが・・・(階級社会であることはよーくわかるので、「平等」ではないな、とは思いますが)
 フランス人権宣言から2世紀以上経ってますが、それでも自由主義が根付いてないんですか?
 フランス革命までは王政で、人権宣言後も帝政や王政復古があったからですか?
 <太田>
  つべこべ言う前に、私のアングロサクソン論を読みなさい。
と言われそうな気もしますが・・・
 パリ市は人権擁護に熱心です。
 例えば、パリ市議会がダライラマに名誉市民の称号を贈る決議をしたり
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-31441120080422
パリでの北京オリンピック聖火リレーの日、パリ市庁舎に人権擁護の横断幕が掲げられたり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E8%81%96%E7%81%AB%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC#.E3.83.95.E3.83.A9.E3.83.B3.E3.82.B9
 これは、フランスは人権の国だからというより、パリ市議会は左翼政党が強いからなんでしょうか?
<太田>
 人権というより、オリエンタリズム(Orientalism)とシノワズリ(chinoiserie)の伝統からきていると私は見ています? 坊さんってキュートだしね。
<スワン>
>これは、私のアングロサクソン論の核心部分ですが、このことを頭に入れて、本件に限らず、欧米に関するニュースを追ってみてください。
 そうします。アングロサクソン論を読んでからニュースを読むと、見方が変わるんでしょうね。
 太田さんは櫻井よしこさんと面識がおありなんですね。桜井さんのお話、聞かせてくださってありがとうございました。
 堤清二さんのお話も、機会があればお聞きしたいです。今、読売新聞で連載中の堤清二さんの回顧録を読んでいます。面白いです。
 コラム#2595(非公開)を読んで、Le mondeのサイトを見てみたら、国際ニュースの2番目に同じ内容の記事が載っていました。
 日本人ジャーナリストが尋問を受けたこと、校舎の建造が脆いことへの疑問、についての記述がありました。
http://www.lemonde.fr/asie-pacifique/article/2008/06/07/la-police-chinoise-interdit-l-acces-aux-ruines-des-ecoles-du-sichuan_1055114_3216.html#ens_id=1043586
<太田>
 お示しの記事によれば、都江堰を、中共党中央の情宣局長のLi Changchunが訪れたようですね。
 いかに、校舎倒壊問題が体制の危機と受け止められているか、ということでしょう。
<スワン>
 チャンネル桜観ました。
 聞き取れなかったところは繰り返して観たのですが、私の理解力不足なんでしょうけど、よくわかりませんでした。
 各出演者は、それぞれ言いたいことを言っている感じで、属国論以外は話がかみ合っていなかったような・・・太田さんでなく、他の出演者のことですが、前の人の発言をスルーして自分の主張ばかりするのは、いかがなものかと思いました。
 太田さんの話は、コラムを読んでいるので何とか意味はわかりましたが、話の展開が速いのと、いつ話題が変わったのかがわかりにくかったです。
 多分、太田さんの頭の中の論理展開のスピードに、私を含め一般視聴者は付いていけないんじゃないかな?と思います。
 あんまりいろんな話を詰め込みすぎないで、今回のテーマではこれだけは言いたいという主張だけを重点的に発言されたほうがいいかもしれないと思います。
 オバマ氏は期待できるという話、良かったです。
 欧州オフ会開催は当分なさそうで、残念です。私が帰国することがあったら、東京オフ会に参加したいです。しばらく帰国の予定はないんですが。
<太田>
 「たかじん・・」のような番組が防衛問題で私をゲストで呼んでくれることが一番かもしれませんね。
 ところで、IT支援グループより、海外からの私のブログへのアクセス状況も分かる、という連絡がありました。
 データが得られたら、お示しします。
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太田述正コラム#2597(2008.6.8)
<中共体制崩壊の始まり?(続x3)(その2)>
→非公開