太田述正コラム#2541(2008.5.11)
<ミヤンマーに人道的介入?(その2)>(2008.6.17公開)
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<補論1:クシュネール仏外相と人道的介入理論>
1 クシュネールの略歴
フランスのベルナール・クシュネール外相(Bernard Kouchner。1939年~)は、(ノーベル平和賞を受けることになる)国境なき医師団(Doctors Without Borders=Medecins Sans Frontieres(accentつけず)=MSF)の創設メンバーの一人です。
ユダヤ人の父親とプロテスタントの母親の間に生まれ、フランス共産党員になるものの1966年に除名になり、1968年に、パリを中心とする学生蜂起に参加した後、ビアフラ紛争が起こっていたナイジェリアに赴き、国際赤十字の医師団の一人として現地で医療支援に携わります。
1971年には、上記MSFの創設に携わります。
その後彼は、人道的介入論者となり、2003年の初めに、イラクのサダム・フセインを打倒すべきだと発言します。
また、ミッテラン大統領の下で健康相を1回、シラク大統領の下で同じく健康相を2回勤め、この間、欧州議会議員も勤めました。
更に、1999年から2001年までの18ヶ月間、コソボの初代の国連特別代表を勤めたのです。
そして昨年、同じくユダヤ系であるサルコジが、フランス大統領に就任すると、サルコジと大統領選を争ったロワヤル女史を支持していたクシュネールを、フィロン首相の下で外相に就けます。
2007年9月、外相のクシュネールは、イランとは最後の最後まで交渉を続けるけれど、それと平行して最悪の事態、すなわち戦争の準備もしなければならない、と発言して物議を醸しました。
2 人道的介入の闘士クシュネール
クシュネールがフランス中にその名を轟かせたのは、1979年のことです。
共産党支配を逃れようとしたベトナムのボート・ピープルの救助に、フランス船をチャーターして駆けつけたからです。
やがて米カーター政権も救助活動を始めましたが、フランスでは、左翼を中心に、フランスと米国のベトナムに対するそれまでの政策への反発から、共産主義ベトナムの悪行には目をつぶろうとする人々ばかりでした。
これに加えて、クシュネールの行為は、ベトナム政府の許可を得ていないところの、ベトナムの反体制派を支援するという内政干渉であって、国際法違反だという声があがりました。
すなわち、米国内からも、人道的介入理論に対し、「右」からはリアリストであるところのキッシンジャーより米国の味方の独裁者達の立場を危うくするという批判が、そして「左」からは、チョムスキー(Noam Chomsky)より米国の敵の独裁者達の立場を危うくする、という批判が投げかけられたのです。
2003年の対イラク戦の後、人道的介入理論に対し、一時期更なる逆風が吹いたものの、2005年に、responsibility to protect= RTP= R2Pなる、国連は重大な人権侵害から一般住民を守る責任がある旨の国連総会決議が採択され、クシュネールの理論は世界で認知されるに至ったのです。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/may/11/cyclonenargis.burma、
http://en.wikipedia.org/wiki/Bernard_Kouchner、
http://en.wikipedia.org/wiki/Doctors_Without_Borders、
http://en.wikipedia.org/wiki/2005_World_Summit
(5月11日アクセス)による。)
<補論2:サイクロンによる最新被害状況等>
ミャンマーの今回の被災地域では1983年以来国勢調査が行われていないので確たることは言えないのですが、この地域に約700万人が住んでいて、約200万人が海抜15フィート以下の低地に住んでいると推定されており、既に20万から40万人が死亡しているという説があります。
川をひっきりなしに水死体が流れており、伝染病が蔓延する兆しも見えています。
稲作やエビの養殖のためにマングローブ林が除去されたことが高潮の被害を大きくしたようです。
そして、この200万人の約10%にしかまだ救援物資が届いていないと考えられています。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/may/11/cyclonenargis.burma、
http://www.nytimes.com/2008/05/11/world/asia/11scene.html?ref=world&pagewanted=print
(どちらも5月11日アクセス)による。)
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(3)米国に人道的介入を促す声・・詳論
ミャンマーへの人道的介入については、国連安全保障理事会内で、中共、ロシア、ベトナム、及び南アフリカが反対しているといいます。
ジンバブエのムガベ大統領による人権蹂躙に対しても、優柔不断な態度をとっている南アフリカのANC政権は、ここでも悪役を演じるつもりのようです。
(ここは、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/may/11/cyclonenargis.burma
上掲による。)
米国に人道的介入を促す声は以下のようなものです。
米軍のC-130がミャンマーの隣国のタイに待機しており、また米空母のキティホークとニミッツが東南アジア海域にいるので、その気さえあればいつでも介入ができるではないか。
人道的介入は、ブッシュ父大統領が積極的に推進したものではないか。すなわち、ブッシュ父は、1992年8月に内戦と飢饉に苦しむソマリアに人道的介入を始めた当人でないか。(翌年、クリントン大統領就任直後、首都モガジシオでの海兵隊惨殺事件の結果米軍が撤退する羽目になったが・・。)
しかも、軍政当局はミャンマーの大部分の国民から忌み嫌われており、今回のハリケーン災害への対応で国民の怒りは一層強まっており、米軍による人道的介入は、ミャンマー国民から大喝采を受けるに違いない。
これを契機に、軍部が分裂し、ミャンマーで体制変革が起こる可能性だってある。
実際、1972年には、ニカラグアの悪名高いソモサ(Anastasio Somoza)独裁政権が、大地震の際に送られた国際援助をくすねたことでやがて政権が転覆したし、インドネシアのスマトラ島のアチェでは、2004年の大津波の際に外国の軍隊等による支援が行われたことが、長年の紛争解決の契機となった。
軍部も一般国民も迷信深いミャンマーでは、今回の大災害は、仏罰であると受け止めている者が多いともいう。
しかも、アウン・サン・スー・チー女史という、欧米諸国から愛されている指導者が控えている。
中共は、人道的介入に強硬に反対することで国際社会を敵に回すことは躊躇する可能性が高いし、そもそも中共には、人民解放軍を隣国に投入して米軍に本格的に対抗する能力などない。
軍政当局は、2003年に米国が軍事介入してイラクのフセイン政権を打倒したことに震え上がったためという説もあるのだが、沿岸のヤンゴンから400km離れた内陸のネイピドー(Naypyidaw)への首都の移転を2005年11月に行ったところ、米国はそれを逆手にとって、沿岸部たる被災地域で人道的軍事活動を展開するわけだ。
とにかく、人道的介入がそこそこ成功しただけで、ブッシュ現大統領は、対イラク戦等での汚名を一挙に挽回し、歴史に良い意味で名を残すことができよう。
4 終わりに
瓢箪からコマ、ということになるかもしれないミャンマー情勢を、皆さんとともにしばらく注視するとしましょう。
(完)
ミヤンマーに人道的介入?(その2)
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