太田述正コラム#2563(2008.5.22)
<ブレア前英首相夫人の言いたい放題(その2)>
(2)カネ
私の俳優の父は私が8歳の時に家を出て、私は妹と一緒に母親と父方の祖母に育てられた。母はフィッシュアンドチップスの店などで働いたが生活は苦しかった。
そんな中で私立学校へ行き、更に法曹教育まで受けたのだから大変だった。
1983年にトニーが国会議員になると、彼の収入は半分以下に減り、その減った分は妻である私が埋める羽目になった。
1997年に総選挙で勝利してトニーが首相になると、われわれ二人の合計所得は40万英ポンド未満にまで減ってしまったことで、私はダウニング街1番地での厳しい生活の現実にただちに意気消沈してしまった。
しかもあろうことか、初閣議で、蔵相になりたてのゴードン・ブラウウンは、自分は給与の増額分を返上するとして、首相を含め他の閣僚全員もそうするように圧力をかけた。私には信じられなかった。私は給与の増額を前提にすべての計算を行っていたからだ。
ゴードンは独身(注3)で大したローンも支払わないマンションに住んでいたから平気なんだわと思ったものだ。
(注3)ブラウンは、その後、2000年に、会社を経営するキャリアウーマンと結婚し、現在子供が二人いる。(後一人生まれたが夭折した。)(太田)(
http://en.wikipedia.org/wiki/Sarah_Brown_%28Prime_Minister%27s_wife%29
。5月23日アクセス)
レオが生まれると一層カネに不自由することになった。クリントン夫妻は彼らに比べてわれわれの役得(freebies)がいかに少ないかにいつもびっくりしていたものだ。私は英国も米国の制度を採用すべきだといつも思っていた。
私は自分がやっていた法律業務がうまくいっていたけれど、われわれは極めて貧しく、 ロンドンのコンノート・スクエアの家を350万英ポンドで買ったために更に苦しい状況になった(注4)。
(注4)もっとも、その後ブレア夫妻は、更にバッキンガムシャーのカントリーハウスを400万英ポンドで購入している。(太田)
(3)人物評
トニーと出会った後、彼はとてもハンサム(good-looking)な若者だと気付いた。私たちが最初に男女の関係になった夜、彼はほんとにたくましかったわ(he has a really strong body)。
ビル・クリントンは、モニカ・ルウィンスキーと関わりをもつなんて大バカ者(bloody stupid)だと思った。私の反応は基本的に「まあビル、よくそんあことできたわね」というものだった。
ヒラリーとこのことを話した時、ヒラリーはこの醜聞がビルの大統領職を脅かさないようにしようとしたけど、個人的に彼女が怒り傷ついていたことは確かだし、それは当然だと思った。私はそれ以前からヒラリーには敬意を抱いていた(impressed)が、これで一層敬意がつのった。威厳(dignity)があったというと不適切だけど。
ジョージ・W・ブッシュが2000年の大統領戦でアル・ゴアを破ったとき、われわれの気持ちは沈み込んだ。私にはブッシュが外交通とは思えなかったからだ。しかしトニーはブッシュといい関係を築く決意だった。
2001年初頭にわれわれが米国のキャンプ・デービッドで初めて会った時の実際のジョージはちょっと変わった(quirky)ユーモアのセンスのあるとても愉快な(funny)魅力ある(charming)男だった。
労働党首が亡くなり、その後釜に新労働党路線の同志であるトニーとゴードンのどちらが座るかについての決定的な話し合いは、誰も張っていない私の妹の家でこっそり行われた。その家に出発するにあたって、私はトニーにこう言った。
「あなたがゴードンに一期だけ自分にやらせてくれと言うようなら、もう帰ってこなくていいわよ。そんなの余りにもばかげてるから。」と。
首相になってからも、ブレアはゴードンを首相にするタイミングを常にはかっていた。いつもブレアは、能力の点ではゴードンは誰よりも秀でているけど、皮肉なことは、彼が最初に合意した通りもっと自分に教育、医療、年金等の内政改革で協力してくれていたならば、彼に首相の座をずっと前に譲っただろうことだ、と言っていた。そうじゃなかったので、トニーは首相を続けて自分が信じることのために戦うしかなかったのだ。
2004年4月になると、ゴードンがトニーの頭上で鍵をじゃらつかし始めたことに間違いない。トニーは、自分がもはや労働党のお荷物になったのではないか、と自信喪失に陥った。
私は、トニーが三期目の首相(労働党首)をやろうとしなければ、イラク戦争批判に屈したと受け止められてしまうと言った。歴史によって、トニーは誤りを認めたと総括されるだろうとね。
女王のけばけば声(shagging)を拝聴しているとトニーも私もいつもムラムラとしてきたもの<であり、上述のバルモラル城の時もその夜トニーとコトに及んだわけ>だけど、われわれは女王とは何度も会ってお互いに気心が知れた間柄になった。彼女ははっきりトニーのことがとても気に入っていた。われわれが最後にバルモラル城に伺候した時、もう二度とここに来ることはないと思ってとてもさびしかった。
4 終わりに
どうでした?
シェリー・ブレアは、シェークスピアに登場する、頭の回転が速く、猥雑であくどく、だけど憎めない悪党そのものだと私は思います。
もう一度言っときますが、シェリーは天下の大秀才で、練達の法廷弁護士です。その上彼女は、慈善活動も精力的に行っており、つい最近まで某大学の学長も勤めていた女性です。
あれだけカネにこだわるシェリーのことですから、何をどう書けばベストセラーになるのか、計算し尽くした上で、しかし、ウソ偽りなく自分をさらけ出した、このような回顧録を上梓したに相違ありません。
トニーもこの回顧録に事前に目を通してゴーサインを出しているので、完全にグルです。
クリントン夫妻といい、ブレア夫妻といい、どうやら、アングロサクソンで政治のトップリーダーになるような夫妻は、金儲けにも貪欲でかつ長けているのが当たり前のようですね。 そしてまた、皆さんセックス狂でもいらっしゃるようで・・。
だけど、大きくなってからこの回顧録を読んだレオ(兄二人、姉一人の末っ子)が傷つかないかちょっと心配ですね。
(完)
ブレア前英首相夫人の言いたい放題(その2)
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