太田述正コラム#13406(2023.4.6)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その26)>(2023.7.2公開)
「・・・16日午前9時、内大臣府に出勤した木戸は「時局収拾大綱」と題する意見書を、牧野伸顕内大臣に呈出した。
それは「政党の奮起を促し、之を基礎とする挙国一致内閣の成立を策すること」、および「首班には斉藤〔実〕子爵」のような「立場の公平なる人格者を選ぶこと」との内容であった。・・・
木戸は軍部方面の「充分なる了解」を得ておくことを説き、大筋で牧野の了承を得た。
⇒話は逆で、西園寺公望/杉山元から牧野伸顕から木戸幸一、と伝わり、木戸がそれを書きとめて言われた通り日記に記した、ということでしょう。(太田)
木戸が求めたのは、過激な軍部とも、無気力な政党とも、ともに距離を持つ、穏健派官僚が主体となる政権。
首班に海軍穏健派(ロンドン海軍軍縮条約に賛成)の斉藤を構想したことは、その志向を裏付けるものであった。・・・
⇒齋藤は杉山らの一員であった的な私見を以前披露したところです(コラム#13182)が、そもそも、私見では、当時の帝国海軍の上層は、ほぼ全員、杉山らの一員であったわけであり(同左)、あらゆる意味で小山の指摘には同意できません。(太田)
5月19日午後、西園寺は首相推薦のために原田・近衛らと上京し、20日午後に牧野内大臣と会った。
この牧野との面会のときには、西園寺は上京前とは態度を変えて、政党と関係のない斉藤実首班の「挙国一致内閣」に賛成した。
原田の言葉によれば、5月19日夕刻の西園寺の心境は「超然7分、政党3分の状態」であり、20日朝に原田は「老公の意中は不明」としながらも、「<政友会新総裁の>鈴木<喜三郎>に行かさることだけは確実」と観測しているから、西園寺の「変心」は上京後すぐのことだろう。
通説では、西園寺が上京する列車内で、秦真次(憲兵司令官)に面会を強要されたことなどが「変心」の理由として語られてきたが、詳細は不明とされてきた。・・・
⇒西園寺は、「変心」したかのような印象を振りまきつつ、実は、最初から念頭にあったのは挙国一致内閣である、というのが私の見解であることを、しつこいようですが、繰り返しておきましょう。(太田)
西園寺の「変心」をうながしたの<は、>・・・昭和天皇<だったと思う。>・・・
5月19日午後5時前、上京後に駿河台の自邸に入った西園寺は、すぐに訪問した鈴木貫太郎侍従長から「天皇の希望」を告げられた。・・・
一、・・・協力内閣と単独内閣などは問う処(ところ)にあらず。ファショ〔ママ〕に近き者は絶対に不可なり。・・・
二、外交・・・
三、事務官と政務官の区別を明かにし、官規振粛を実行すべし。
<これ>は、西園寺が天皇の「希望」を自ら書き止め、「投火ノ事」と書き添えて保管したもの<だ。>・・・
筆者は、天皇の「希望」を・・・通説<であるところの>・・・「ファッショに近」い平沼騏一郎・・・内閣の拒否だけでなく、西園寺が考えていた「鈴木内閣」の再考を求めるものであった、との説を提唱したい・・・。・・・
さらに「協力内閣と単独内閣など」は問わない、との一文は、一見すると文字通りの意味しかないように思える。
だがこの文は、半年前に犬養毅を首相に推挙する段階で、牧野伸顕内大臣らが協力内閣を主張したことと関係している。
このとき西園寺は牧野の説に反対して、犬養の「単独内閣」説を擁護し、強力(連立)政権構想を「組合せは難しい」と拒否した。
右の経緯を考慮すれば、「問うところにあらず」とした項目の重要さがわかる。
西園寺の「単独内閣」へのこだわりを前提として、単独か協力かの形式ではなく「人格」をもって首相を選べ、と天皇は要望したのである。
もし「単独内閣」の形式を守るのであれば、「憲政の常道」にしたがって鈴木総裁の政友会に政権を託すしかない。
この注文は実質的に、西園寺の考えていた鈴木首班説の再考をうながしたことと同じ意味となる。 最後に「外交」については、国際関係に関心の薄い鈴木総裁よりも、鈴木に近い森恪が主導権を握り、陸軍強硬派の方針を推進することが危ぶまれた、とも考えられる。
いずれにせよ、犬養亡き後の政友会が、陸軍を抑えて「国際関係を円滑」に処理するとは考えにくい。
天皇の「希望」を告げられた西園寺公望は、これらの意図を十分に察したはずである。」(150、152、155~158)
⇒「天皇の希望」の解釈は、小山に任せるとして、私は、この西園寺による「天皇の希望」メモは、、挙国一致内閣が天皇の意向に反しないという認識を広めるための西園寺による創作だ、と見ています。
更に言えば、半年前の西園寺と牧野らの挙国一致内閣樹立を巡る見解の相違なるものもフィクションであり、五・一五事件勃発を見越した上で、西園寺が牧野らにアドバルーンを上げさせて挙国一致内閣樹立への地ならしをした、と、見たいところです。(太田)
(続く)