太田述正コラム#2664(2008.7.13)
<皆さんとディスカッション(続x191)>
<gaiya>
–要注意!–
(1)太田述正コラム#2660(2008.7.11)について、
> 日本はなめられているという報道*(*
> h ttp://www.jcast.com/tv/2008/07/04022956.html
> ) が一部であったようですが、フランス人はちっともそんなことは思っていません(そういう報道はないので)。日本人、ちょっと被害妄想気味?
これはリンク切れではありません。リンク先が誤っているのです。
正しくは、
http://www.j-cast.com/tv/2008/07/04022956.html
一般的に紛らわしいドメインを有するホームページを閲覧することは危険行為です。ウイルスが仕掛けられている可能性があるからです。
URL の引用はキーボードから打ち込むのではなく、コピー&ペーストすべきです。
(2)コラムの表題の通し番号が重複していたりジャンプしていたりしていますが、ちょっと気になります…
皆さんとディスカッション(続x198) ←
1991年の政務次官随行中東訪問記(その2)
皆さんとディスカッション(続x188)
1991年の政務次官随行中東訪問記(その1)
皆さんとディスカッション(続x187) ←
辰野金吾
皆さんとディスカッション(続x187)
<太田>
(1)について→スワンさんに代わって、ご教示に御礼申し上げます。
(2)について→皆さんとディスカッション、これまでの3回、連番を付け間違えていました。ご指摘、ありがとうございました。ブログも直させていただきました。
<kujo>
太田述正コラム#2662「北朝鮮での韓国人銃撃事件」を読みました。
トラの檻を乗り越え中に入ってトラに噛み殺されたということではないでしょうか?
日本人だけでなく韓国人もトラがそういうものだということは知っているのでしょう。
>韓国世論の動向いかんによっては、南北関係は決定的に悪化する可能性があります。
可能性が高いとお考えでしょうか?
<太田>
「北朝鮮の金剛山で韓国人女性が北朝鮮軍兵士に射殺された事件で、北朝鮮は12日、女性の死亡を「遺憾」としつつ、「責任はすべて南 (韓国)側にある」とする当局の談話を発表した。・・・女性が軍事警戒区域内に入ったことが原因として、「我々に明白に謝罪し、再発防止策をとるべきだ」と韓国側を強く非難。韓国政府が事件発生を受けて金剛山観光の中断を決めたことを、「耐え難いぼうとくだ」とし、再発防止策が講じられる まで観光客を受け入れない方針を示した。・・・韓国政府当局者らで構成した調査団の早期の訪朝受け入れなどを北朝鮮に打診した。しかし北朝鮮側は「許容できない」と拒否した。」(
http://www.asahi.com/international/update/0712/TKY200807120230.html
。7月13日アクセス)
南北関係が決定的に悪化する可能性は相当あるのではないでしょうか。
<田吾作>
【資料1】【WNM】ロンドン同時爆破テロ事件から3年
2005年7月7日に起きたロンドン同時爆破テロ事件から3年。英政府はこれまで、イスラム過激主義の影響を阻止するためにさまざまな融合政策を提案し進めてきたが、その効果はまだ見えていない。
(ロンドン・行天慎二)
http://www.worldtimes.co.jp/w/eu/eu2/kr080708.html
「WNM」は事件後3年間経過観察している事を意味していますが、原則的な対応だと私は考えます。(田吾作)
<太田>
お示しの「世界日報」は好きではありませんが、記事は読ませていただきました。
「一般の英国民のイスラム理解はまだ不十分だ。最近の世論調査結果でも、英国人の51%はロンドン・テロ事件の背景にイスラム教があると考えており、一般イスラム教徒と国際テロ組織アルカイダの区別をしていない。」
→さすが英国民の過半は実に的確な認識をしてますねえ。私と同じ認識です。
「若いイスラム教徒は現代西欧社会への適応よりもイスラム社会で生きることを支持する意見が強いことも明らかになっている。イスラム系住民の二世、三世の若者たちは、移民一世である親の世代よりもイスラム根本主義に引かれる傾向が強く、過激主義に走りやすい。」
→そうでしょう、そうでしょう。だから上記のような認識に必然的になるのですよ。
<田吾作>
【資料2-1】【ファインマン】実はスパイだったのだ
「・・(略)・・一方家内のアーリーンの病状は刻々悪化していた。いつ何時容態が急変するかわからない状態だったので、アルバカーキに急行できるよう寮の友だちの車を借りる手筈は、前もってととのえておいた。クラウス・フュークスというこの車の持主は、実はスパイだったのだ。彼はロスアラモスの原爆の秘密を盗みだしてサンタフェに運ぶのにこの車を使っていたのだった。しかしそのときはこれを知る者は一人もいなかった。・・(略)・・」
「ご冗談でしょう、ファインマンさん」Ⅰ リチャード・フィリップス・ファインマン著
2000年 岩波書店発行 P196より引用
【資料2-2】(原典拠は不明でした)
「・・(略)・・六月二日、ソ連のスパイであるハリー・ゴールドは、マンハッタン計画に参加している物理学者でやはりソ連のスパイ、クラウス・フュークスを短いドライブに誘った。フュークスは近いうちに原爆の実験があることを車の中で告げた。・・(略)・・」
http://2006530.blog69.fc2.com/blog-entry-146.html
より引用
【資料2-3】
「・・(略)・・原爆情報をソ連に提供したのは、オッペンハイマー自身ではなく、その『もぐら』だっただろう。そしてその『もぐら』は、これまでスパイ容疑者としては今まで名前が一度も挙がっていないような人物だろう・・(略)・・」
【太田 述正】<沖縄集団自決事件判決(その2)/マリネラの核武装問題:消印所沢通信25(その2)>より引用
この3つは、以前アメリカの原爆製造で話題になっていた件(『もぐら』)の資料です。(田吾作)
<太田>
情報提供、ありがとうございました。
<読者MN>
昨今かなりハードスケジュールだったとお見受けします。。
オフ会ではかなりお疲れのご様子にて、すこし心配いたしておりました。
いきなりですが、小生に喜捨の精神を教えてくれたのは、曾祖母です。
小学校6年のときにみまかったのですが、生きていれば113歳になります。
いわゆる戦災孤児への寄付に熱心で、新聞社を通じ、貧しいながら寄付を続けていたそうです。
父が以前よく「この記事が曾祖母の寄付のことだ」と新聞に載っている記事を示してくれたものです。
無記名で寄付をしていたので、父がこれと示してくれねばわからないものでした。
彼女の死後のことです。
所謂コミュニケーションのうち、言語による通信は3割に過ぎず、のこりの7割はノン・バーバル、言語外によるものだそうです(典拠省略)。
大戦の是非はともかく、実際に不幸になられた家族に対し、記名で寄付をすることの無情を、曾祖母は知っていたと確信しています。
次男は紫電改乗りでしたが、高高度を飛ぶB-17か29かに立ち向かい、あっさり戦死したそうです。
女婿(祖父です)は落下傘部隊を率いる士官でしたが、飛行機も積まぬ空母に乗ってフィリピンへ行く途中、上海沖で敵潜の雷撃に遭い、遺品もありません。
往時の迎撃機の最高到達可能高度や日本近海の制海権のなさは釈迦に説法なので書きません。
長男は当時陸軍大学の教官でいまだ存命ですが、ナイン・イレブンの後、「当時僕は同じことを考え、米でそれをやらしてくれ、と上官に頼んだが断られ諦めた」と申しておりました。当時の米入管も、それなりに厳しかったんでしょうね(笑
でなきゃ陸軍にもインサイダーがいたか(爆
そういう人間がいたと、身近に聞く機会が多かった人間にとり、先日にオフ会における自虐史観の浸透ぶりは、失望を通り越し、絶望に近いものがございました。
「日本恐るべし」を具現した、最後の世代のことなど、誰も知らぬのだなと。
しかし、そう感じる機会を与えていただけただけでも、先生にはとても、とても感謝しています。
<太田>
こちらこそ、オフ会へのご出席、感謝申し上げます。
<遠江人>
もうご存知かもしれませんが、MSN産経のサイトに【さらば革命的世代】というシリーズの記事が全十回(で第1部終わりとのこと)で掲載されています。
さらば革命的世代 – トピックス – MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/topics/politics/7581/plt7581-t.htm
かつて全共闘メンバーだった人々が体験談や回想や現在の考えなどを語るというインタビュー中心の内容で、登場する方々の年齢が50代後半から60代前半ということもあり、もしかしたら太田さんがご存知の方がいたり、当時太田さんが東大「闘争」を終結させようとした時のことなどで重なる部分があるかもしれません。
– コラム#536(2004.11.17)<韓国の現政権の正体(その2)>から抜粋。
「(注2)私は大学二年の時に東大紛争(1969年)を経験した。紛争の最中駒場
のキャンパスで、私は、模様見の一般学生中心の多数の聴衆の前
で、大学占拠中の全共闘の一人と議論をしたことがある。彼が「マ
ルクス・レーニン主義に則り、われわれは・・」と言ったのに対
し、私が「マルクスだろうが誰だろうが、その「学説」を批判的に
検証できる能力を身につけるためにわれわれは大学に来ているので
はないのか」と遮ったところ、彼は「おい、こんなことを言ってい
る奴がいるぜ」と聴衆に向かい、あきれ顔で私を指さした。すると
聴衆はどっと私を嘲笑した。」
http://blog.ohtan.net/archives/50955297.html
– コラム#987(2005.12.6)<思い出される大学の頃(その1)> の前半部分。
http://blog.ohtan.net/archives/50954846.html
– コラム#994(2005.12.10)<徒然なるままに(その3)>から抜粋。
「3 日和見学生について
東大1年の時には、統一教会信者や創価学会信者と議論し、東大2年の時には東大「闘争」の過程で、全共闘の面々・民青の面々、そして東大「闘争」参加一般学生達との議論を行いましたが、これらの青年達の心情は、私なりに理解できたような気がします。
クラス内外で、私と協力しつつ「闘争」を終結させようとした面々の心情は、当然よく理解できました。
どうしても理解できなかったのは、日和見学生達の心情です。
ストに突入して講義がなくなると、彼らはキャンパスに現れなくなり、遊びほうけたり、文1の学生の場合、自分で法律の勉強を始めて司法試験や国家公務員試験に備えたりしていました。東大「闘争」という、まことに面白い大事件が目の前で出来しているというのに、これに関心を持たない、というのがまず私には理解できませんでした。しかも彼らは、「闘争」終結にも積極的に動こうとしません。早晩、どうせ他の誰かが、そして国家権力が「闘争」を終わらせてくれるだろう、だから自分は無駄な動きはしない、というわけです。確かに要領はいいけれど、これほど現実社会へのアンガージュマン(engagement)を回避してばかりいる彼らが、一体何が楽しくて生きているのかが、これまた私には理解できませんでした。
しかも、どちらかと言えば、日和見学生は、成績の良い学生に多かったように思います。
これでは日本の将来はどうなるのか、と暗澹たる気分になったことを覚えています。」
http://blog.ohtan.net/archives/50954839.html
– コラム#2152(2007.10.28)<防衛省不祥事報道に思う(続x8)>から抜粋。
「情報屋台に誘ってくれたのは大学の教養課程で同級生だった高成田君(ライターのお一人です)ですが、当時、東大紛争でヘルメットを被って活躍していた高成田君を始めとする全共闘及びそのシンパの同級生達に、「今のうちせいぜい楽しんでおくといいよ。どうせ君達みんな、東大紛争なんかあったの、という顔して銀行員になるんだから」と私が言って顰蹙を買ったことがあります。
だけど、本当にみんな銀行員とか、フツーのサラリーマンになっちゃったんですよね。
その中で、高成田君は朝日新聞に入ったのだから、ある意味で節を曲げなかったわけです。
私は、最初からばかばかしい限りだと思っていた東大紛争の収束に、最終場面で動いたのだけど、日本がこれでいいと思っていたわけでは決してありません。
だからこそ、私は卒業後防衛官僚になる道を選んだのです。」
http://blog.ohtan.net/archives/51082810.html
以上のように太田さんは東大闘争や学生運動のことを何回かお書きになっておられますが、知的好奇心という意味でも話としての面白さという意味でもこれらのお話は大変興味深いところです。以前コラム#2385と#2389で学生運動をしていた世代を縄文・弥生的視点から感想を述べさせていただいたことがありましたが、この【さらば革命的世代】シリーズを読んでの太田さんの感想もぜひ聞いてみたいところです。また時間に余裕のある時にでもぜひお聞かせください。
<太田>
いつも、私の考えや過去コラムを、私より手際よくまとめていただき、ありがとうございます。
日本文化チャンネル桜の次のような番組に出演することになりました。
「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」
テーマ:「どうする!?どうなる!? 1000万移民と日本」(仮題)
「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を中心に、日本の行方を議論。
収録日時:平成20年7月16日(水曜日)午前10時~13時30分
放送予定日:前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時~9時30分
後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時~10時00分
これで、同チャンネルでの出演は3回目ということになります。
この番組の収録が終わったら、お示しの記事、読ませていただきます。
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太田述正コラム#2665(2008.7.13)
<日本文化チャンネル桜と移民受入問題(続)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x191)
- 公開日: