太田述正コラム#13414(2023.4.10)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その30)>(2023.7.6公開)

 「・・・1933年7月10日夜・・・警視庁は一斉に特別捜索を行った。
 内偵の結果、右派団体に不穏な動きがあることがわかり、警戒を強化したのである。
 そして明治神宮講会館に50名を超える人数が集まっているとつきとめた警視庁は会館を包囲し、前田虎雄<(コラム#1301)>(皇国農民同盟)ほか計47名を検挙する。
 調べを進めると、驚くべき計画が発覚した。
 集団の首領は天野辰夫<(注100)>(愛国勤労党)・・・。・・・

 (注100)1892~1974年。「ファシズム運動家,弁護士。島根県に生まれる。東大卒。上杉慎吉の影響をうけ,1918年東大内に興国同志会を組織し,新人会に対抗する。26年,父が社長である浜松日本楽器争議の際,日本主義労農同志会を組織して争議団を攻撃。天皇をいただく〈昭和維新〉の断行をめざし,28年全日本興国同志会,29年愛国勤労党結成の中心となる。33年7月クーデタ計画の総括主宰者となるが発覚し,検挙される(神兵隊事件)。出所後39年,日独伊軍事同盟締結要請運動に関与。・・・<1941>年平沼騏一郎国務相狙撃事件にもかかわった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E9%87%8E%E8%BE%B0%E5%A4%AB-1050800

 世にいう「神兵隊事件」である。・・・
 人的なつながりとしても、決起の趣意からしても、神兵隊事件は「第二の五・一五事件」であった。
 さらに東久邇宮付の武官であった安田銕之助<(注101)>(てつのすけ)(陸軍予備役中佐)が天野の知人であり、資金提供などに関わっていた。

 (注101)1889~1949年。陸士、陸大。「大正13年渡欧中の東久邇稔彦(ひがしくに-なるひこ)付武官となる。昭和5年陸軍中佐で予備役。8年愛国勤労党の天野辰夫らと神兵隊事件をおこした。14年皇道をとなえる「まことむすび社」を結成。」
https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E7%94%B0%E9%8A%95%E4%B9%8B%E5%8A%A9-1116505

 安田の資金源は、西園寺公望の護衛を経験したこともある中島勝治郎<(注102)>(元陸軍曹長)で、中島はさらに松屋呉服店<(注103)>常務の内藤彦一<(注104)>(ひこいち)から資金を得ていた。」(182~184)

 (注102)?~?年。上泉信綱(伊勢守)を初祖とする神影流の22代。「西音寺公の秘書に任命され世に知らされ<、また、>・・・中華民国の父「孫文」の最高顧問<も務めた。>」
http://www.shinkageryu-budoujyo.com/intoro.html
 (注103)「1869年12月5日(明治2年11月3日)- 初代古屋徳兵衛、妻の満寿の小売業をもとに、横浜石川町にて「鶴屋呉服店」を創業。
1889年(明治22年) – 東京神田今川橋の松屋呉服店(1776年・・・創業)を買収し、東京へ進出。当時は「松屋呉服店」「鶴屋呉服店」の屋号を並行して使用していた。1978年(昭和53年)まで使用されていた紋章は「松」と「鶴」を形取っていた。
1903年(明治36年) – 合名会社松屋呉服店となる。
1908年(明治41年) – 呉服以外に雑貨、洋品の販売を始め、化粧品、帽子の一部を海外より直接輸入して販売するようになり発展した。
 その後、銀座、浅草、横浜関内の吉田橋際や伊勢佐木町に店舗を構えるなど、事業を拡張。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B1%8B_(%E7%99%BE%E8%B2%A8%E5%BA%97)
 古屋満寿(1850~1907年)は、「慈善事業にも尽くし<、>愛国婦人会神奈川県支部の幹事や評議員も務めた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E6%BA%80%E5%AF%BF
 古屋徳兵衛(2代)(1878~1936年)は、初代と満寿の子で、甥の惣八の子の祐次郎を養子としており、その妻は公爵花山院親家の娘の千枝子。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%BE%B3%E5%85%B5%E8%A1%9B_(2%E4%BB%A3)
 (注104)1865~?年。
https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-15406

⇒花山院家は清華家9家の1家として西園寺家と並ぶ存在である
https://geocity1.com/okugesan_com/yougo.html
とともに、一条家の門流(家札)である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E9%99%A2%E5%AE%B6
点でも西園寺と同じ・・
https://geocity1.com/okugesan_com/yougo.html 前掲
但し、上掲には花山院家が出てこない!・・であることから、西園寺、花山院両家は密接な交流があったと思われ、西園寺公望→花山院親家(1878~1924年)の嗣子の花山院親忠(春日大社宮司)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E9%99%A2%E8%A6%AA%E5%AE%B6
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E5%B1%B1%E9%99%A2%E8%A6%AA%E5%BF%A0
→古屋千枝子→古屋祐次郎、及び、杉山元ら(陸軍)→安田銕之助(元陸軍)→天野辰夫、いう二つの関係性を背景として、内藤彦一(松屋)→中島勝次郎(元西園寺護衛)→安田銕之助→天野辰夫、と神兵隊事件資金が流れた、と、見たらどうでしょうか。(太田)

(続く)