太田述正コラム#2303(2008.1.16)
<ガンジー・チャーチル・ホロコースト(その2)>(2008.7.24公開)
(チャーチルとホロコーストについては、英国の歴史学者のギルバート(Sir Martin Gilbert)の’CHURCHILL AND THE JEWS–A Lifelong Friendship’の以下の書評に拠っている。
ワシントンポスト前掲、及び2008年1月16日にアクセスしたところの、
http://www.mcclelland.com/catalog/display.pperl?isbn=9780771033261、
http://www.foreignaffairs.org/20071101fabook86639/martin-gilbert/churchill-and-the-jews-a-lifelong-friendship.html、
http://opinionjournal.com/la/?id=110010834、
http://www.nysun.com/article/65133、
http://www.haaretz.com/hasen/pages/ShArt.jhtml?itemNo=934728、
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/09/13/bogil108.xml)
チャーチルはいかなる人種差別にも断固反対という人物でしたが、彼は、そのインド人評やイスラム教徒評からも推察できるように、アングロサクソンを頂点とする人種観を持っていた人物でもありました。
「どうしてわれわれアングロサクソンが優れていることについて弁明する必要がある?われわれは優れているのだ」と言ったことがあるくらいです。
しかしチャーチルが尊敬している人種が一つだけありました。
それがユダヤ人でした。
チャーチルはユダヤ人が大好きだったのです。
チャーチルに言わせれば、ユダヤ人はギリシャ人の天分もローマ人の力も成し遂げられなかったところの思想を発見・祖述したのであり、欧州の芸術・科学・制度はその賜なのであり、世界がユダヤ人によって裨益しているのです。
まさにユダヤ人は、世界に出現した最も恐るべき、最も瞠目すべき人種だというのです。
チャーチルが人となった19世紀末のイギリス、就中その貴族の間で牢固とした反ユダヤ感情があったというのに、どうしてチャーチルはそれに染まらなかったのでしょうか。
第一に、お父さんのランドルフ(Randolph)の影響です。
ランドルフは、英国のロスチャイルド家の当主のナサニエル(Nathaniel Rothschild。銀行家。ユダヤ人として初めて英上院議員になった)等の英国の有力ユダヤ人達と商売上、かつ個人的に交友があり、娘をユダヤ人に嫁がせています。
その後、父親と交友のあったユダヤ人達は、チャーチルを資金面等で支えてくれるのです。
第二に、チャーチルは旧約聖書大好き人間であって、演説に旧約聖書の人物やエピソードをちりばめるのが常であり、この旧約聖書とそれに盛り込まれた倫理観を生み出したユダヤ人に賛嘆の念を持っていたことです。
第三に、世界シオニスト機構(World Zionist Organization)議長のワイズマン(Chaim Weizmann。後イスラエルの初代大統領)との親交です。
二人は20世紀初頭にマンチェスターで出会うのですが、第一次世界大戦の時、海軍大臣をしていたチャーチルは爆弾の製造のためにアセトン(acetone)を大量に必要としていたところ、化学者であったワイズマンがその新しい製造方法を開発したことで親交が深まるのです。
チャーチルのユダヤ人への好意は、猖獗を極めるようになった共産主義がチャーチルが大嫌いで、しかも彼自身、その共産主義を理論的かつ政治的に牛耳っていたのがユダヤ系の人々であると信じていたにもかかわらず、全く変わることはありませんでした。
1904年にチャーチルは下院に初当選するのですが、彼の選挙区はマンチェスターの北西地区であり、選挙民の三分の一はユダヤ人でした。
当選したチャーチルは、ロシアのユダヤ人迫害(ボグロム)を逃れてくるユダヤ人の英国への流入を規制しようとする動きと果敢に戦うのです。
1908年には彼は早くもパレスティナに戻りたいとのユダヤ人の考えに賛同の意を表するとともに、それは世界史にとって画期的なこととなろうと述べています。
1913年には彼は、友人であるところの自由党の下院議員たるユダヤ人の入会を認めなかったクラブを脱会し、その後自分でユダヤ人の入会を認めるクラブを創設しています。
1917年11月2日には有名なバルフォア宣言(Balfour Declaration)が、外相のバルフォア卿によって発せられ、英国政府はユダヤ人がパレスティナに「復帰」することを認めるに至ります。
(続く)
ガンジー・チャーチル・ホロコースト(その2)
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