太田述正コラム#2311(2008.1.20)
<自由民主主義国と近代的拷問>(2008.7.28公開)
1 始めに
 ダリウス・ラジャリ(Darius Rejali)はイラン出身のシーア派の米国人で、オレゴン州ポートランドの名門リード(Reed)・カレッジで政治学教授をしていますが、このたび『拷問と民主主義(Torture and Democracy)」を上梓しました。
 なかなか面白い本なので、その概要をご紹介しましょう。
 (以下、
http://www.latimes.com/features/books/la-et-book18jan18,0,3773768,print.story?coll=la-books-headlines
http://press.princeton.edu/titles/8490.html
http://www.boston.com/bostonglobe/ideas/articles/2007/12/16/torture_american_style?mode=PF
http://www.timeshighereducation.co.uk/story.asp?sectioncode=26&storycode=400215&c=2
(いずれも1月20日アクセス)による。)
2 拷問と民主主義
 (1)序論
 いつの時代、いかなる場所でも、情報を引き出したり、偽りの自白を強いたり、囚人をおとなしくさせ、従わせるために拷問が行われてきた。
 19世紀から自由民主主義国では拷問が禁止され始めると、痕跡を残さない形の拷問・・近代的拷問・・が工夫されるようになった。
 すなわち、電気、氷、水、薬品、あるいは不自由な姿勢による拷問だ。
 (2)代表的な近代拷問類型
  ア 感電
 電気の利用は米国に始まるが、最初のうちは電気は拷問には使われなかった。感電(striking by electric shock)させて殺してしまっては元も子もなかったからだ。
 しかし1899年に米国とスイスで、ほぼ同時に感電死がどうして起きるかが解明された。
 その結果、高電圧で低アンペアであれば痛みは与えても死には至らないことが判明した。
 最初に電気拷問装置が開発されたのは1908年、米国においてであり、この装置はハミングバードと呼ばれた。この装置を体にあてて電気を流すと、鳥がさえずるような音を立てたからだ。
 この
 最も悪名高い電気拷問装置はマグネト(magneto)発電機を用いて高電圧の火花を散らす携帯式の装置であり、フランスの植民地警察(Surete)が1931年に開発した。彼らはベトナムの民族主義者達を弾圧するために1930年代を通じてこの装置を用いて拷問を行った。
 ナチスはこの技術を1942年にヴィシー政権のツールーズの警察から学んだ。
 ゲシュタポはパリやベルギーでこの装置を用いた拷問を行ったが、戦後この装置を大々的に用いたのはフランスと米国だった。
 フランスは1947年から再びベトナムでこの装置を用いた拷問を始め、この装置は南ベトナム政府に伝播し、更にベトナム派遣米軍に伝播し、これが更にブラジルに1960年代末に伝播する一方、米国本国にも伝わり、勲章を授かったベトナム帰還兵の警官の手でシカゴ警察に導入され、1970年代と80年代に自白を引き出すのに使われた。
  イ 強制気をつけ
 強制気をつけ(Forced standing)とは、落ちたら電気拷問を加えると脅した上で、箱の上で何時間も気をつけさせる拷問だ。
 人間は長時間同じ姿勢をとり続けることはできないのであり、これは心理的拷問としては極めて効果的なのだ。
 この拷問が始まったのは19世紀後半の米国においてであり、黒人奴隷に対して行われた。1920年代には警察での尋問の際や刑務所での懲罰として行われるようになった。
 
 英国の警察は、1910年から1930年にかけて、アイルランドの刑務所や、インドのアンダマン諸島の刑務所、更には委任統治領のパレスティナでこの拷問を行った。
 少し遅れて1930年代からソ連でも、米国でのやり方を学んだ秘密警察が盛んに行うようになった。
  ウ 水責め
 水を用いた拷問で昔からあったのは釜ゆでだが、水責め(waterboarding)を始めたのは米国であり1902年に米軍がフィリピンの叛乱軍と戦いだした頃、現地で始め、これが本国に持ち帰られ、1910年代に軍刑務所や警察署で用いられるようになった。
 典型的なやり方は、顔にハンカチをかぶせて全身を水につけるか、頭を後ろに傾けさせた状態で水を顔面にかけるかだった。
 そしてこの拷問は次第に世界中に広まっていった。
 ちなみに、水窒息(water-choking)は、オランダで始められた拷問であり、ガーゼ類に水を含ませ、顔面を覆うものだ。
  エ 傷口への胡椒と塩のすりつけ
 傷口への胡椒と塩のすりつけによる拷問は、19世紀後半、米国の黒人奴隷に対して始められた。
  オ 睡眠剥奪
 睡眠剥奪(sleep deprivation)の歴史は古く、スコットランドのプロテスタントが魔女から自白を引き出すために始めた。 
 なお、スペインの異端審問では、睡眠剥奪は、それが幻覚を引き起こすことから、得られる自白が信用できないとして行われなかった。
  カ 高圧水打撃
 高圧水打撃(beating with high-pressure water)は米国と英国が始めた。
  キ 手錠状態での氷冷水浴
 手錠状態での氷冷水浴は英国が始めた。
 (3)結論
 痕跡を残す拷問であれ、残さない拷問であれ、拷問された者は尋問者に迎合し、尋問者が聞きたいと思っていることをしゃべるものであり、供述は全く信用できない。
 しかも、拷問は拷問する側を蝕み、堕落させる。
 米国内では、米国法律家協会(The American Bar Association)が1931年に拷問を糾弾する報告書を出したことがきっかけとなって、1950年までの間に拷問はほぼ根絶された。 しかし、イラクのアブグレイブやキューバのグアンタナモでは米軍がつい最近まで、上述した(痕跡の残らない)拷問をほとんど全類型にわたって行っていた。
 いや、今でも行っていると言った方が正確だろう。
 米国は本国外においても、米国が関与する拷問を根絶しなければならない。
3 終わりに
 世界中から集まった人が、こういう研究も含め、ありとあらゆる研究を行っている米国の大学だけは、日本ももっともっと参考にして欲しいと思います。