太田述正コラム#13430(2023.4.18)
<小山俊樹『五・一五事件–海軍青年将校たちの「昭和維新」』を読む(その38)>(2023.7.14公開)

 「・・・三上らにとって、現職の首相が率いる独裁的な「党」の創設は、まさに天皇に代わる権力を手中とする「幕府の樹立」であった(新体制幕府論)。
 討幕と王政復古によって成立した近代日本で、再び「幕府」を作るとすれば、それは第二の維新(昭和維新)を志す三上ら維新勢力にとって、著しい精神の後退であり、決して許せるものではなかった。・・・
 矢部貞治は近衛が「テロによる威嚇を武器」とした「井上〔日召〕や三上一派のテロ性にひどく脅かされていた」と分析している・・・が、留保が必要であろう。
 近衛に近い後藤隆之助は戦後に、こう述べている。
 〔幕府論を唱える勢力=「観念右翼」<(注122)>は〕軍の皇道派に近く、平沼喜一郎、頭山満等にも連絡し、井上日召、三上卓等のテロ派はこれに属しておった。しかして近衛公はどちらかといえば、一国一党論の革新右翼<(注122)>を好まず、皇道派に近く、そしてまた観念右翼にも近かった。・・・

 (注122)「天皇中心主義による〈国家改造〉(〈昭和維新〉の断行),農本主義と家族主義,反ソ反共,反民主主義,反自由主義,反財閥,ベルサイユ・ワシントン体制打破,大アジア主義による大陸進出などの主張をかかげて・・・ファッショ団体<が>・・・活発な運動を展開した。・・・<これら>は,観念右翼(日本主義派)と革新右翼(国家社会主義派)に大別され,両派は指導権争いと対立をくりかえしながら昭和戦前期右翼運動の二大潮流を形成した。観念右翼には国本社,建国会,血盟団,神兵隊,大日本生産党,大東塾など,革新右翼には経倫学盟,日本国家社会党,新日本国民同盟,日本革新党など,中間派には東方会,大日本青年党,国粋大衆党などがあったが,中間派は思想上の立場からいえば革新右翼に分類することも可能である。・・・
 上杉の組織した桐花学園 (1913創立) ,蓑田胸喜,天野辰夫,菊池利房による興国同志会 (19) ,平沼騏一郎の国本社 (24) ,興国同志会の流れをくむ七生社 (25) などが観念右翼としてあげられる。」
https://kotobank.jp/word/%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E5%8F%B3%E7%BF%BC-49434
 「革新右翼とは、日本における右翼の派閥の一種であり、元来の右翼と違って民族主義に依拠しない、あくまで国家を根拠とする日本国家主義を意味する。
 大正時代以降に興隆し、大川周明や高畠素之らが展開した。その中にはファシスト的な思考や、国家社会主義、農本主義なども含まれていたが、その代表的なものは大日本主義であったとされる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%A9%E6%96%B0%E5%8F%B3%E7%BF%BC

⇒ここでも、少なくとも幕末/維新時からの長期スパンで物事を見なければいけません。
 当時から(終戦まで)、日本の支配層は、主流の秀吉流日蓮主義/島津斉彬コンセンサス信奉者達と非主流の横井小楠コンセンサスのみ信奉者達とで構成されており、後者は、一貫して対露安全保障を最優先し、そのためにも英国、後には英米との提携を追求してきた、という経緯があり、帝国陸軍内では、昭和に入ってから、前者から統制派が、後者から皇道派が形成された、と、かねてから私は指摘してきたところです。
 そして、前者が、戦間期に、ついにアジア解放のチャンス到来、というか、ここを逃せば二度とチャンスはやってこない、との判断の下、アジア解放戦争の実行を期して策定したのが杉山構想である、とも。
 更に、このアジア解放戦争の勝利のためには、日本において総動員体制を構築する必要があることから、同体制構築に向けて、軍部以外の民間人も、大川周明を筆頭として、出来る限り活用しようと民間に向けて種々働きかけをしたところ、これを受けて、勘違いをして、日本に一党独裁制を敷こうと考えた人々も出てきた、ということでしょう。
 そういう人々を革新右翼と呼び、そうでない人々を観念右翼と呼ぶことに意味があるとは思いませんが、仮にそう呼ぶとすれば、大川周明は、革新右翼ではなく観念右翼でしょうね。(太田)

 後藤のいうように、近衛自身がそもそも三上らの考えに同調していたのであれば、そこに脅迫の必要はない。
 藤原五摂関家の筆頭にあり、天皇との歴史的な親近者である近衛にとって、「近衛幕府」との批判は最も嫌うものであった。
 近代史家の伊藤隆によれば、新体制運動を推進する「革新派」には二通りの潮流があり、ひとつは挙国的政党を求める「全体主義」派で、陸軍(旧統制派)・「革新右翼」に通じる。
 もうひとつは国体観念の育成などを通じて国民組織化をはかる「日本主義」派で、旧陸軍皇道派・観念右翼の傾向とほぼ共通すると整理する・・・。
 これらの分析でいえば、三上ら維新勢力は「日本主義」派といえる。」(231~233)

⇒こういった議論に強いてお付き合いすれば、この限りにおいては、特段異議はない、ということになります。(太田)

(続く)