太田述正コラム#2631(2008.6.25)
<民主主義諸国連盟構想再訪>(2008.8.16公開)
1 始めに
 コラム#2549で「民主主義諸国連盟ないし協調システム(league or concert of democratic nations)といった機関を設立しなければならない・・・国連安保理が人道的危機に際してコンセンサスに到達できない場合に・・民主主義諸国連盟・・・の出番とあいなるわけだ。NATOやEUが既にあるのではと思うかもしれない。重要なことは、・・・インド、ブラジル、日本、オーストラリアといった民主主義大国が加わ<った>・・・その世界版をつくることなのだ。」という構想を紹介しました。
 この民主主義諸国連盟構想について、再度考察を加えてみたいと思います。
2 民主主義諸国連盟構想を是とする意見
 米共和党大統領候補のマケインも、民主党大統領候補のオバマの上級顧問達も民主主義諸国連盟構想を是としています。
 これは、イラン、北朝鮮、ダルフール等における危機、より効率的な平和維持活動の必要性、地球温暖化等の国家の枠を超えた脅威を前にして米国単独での力には限界があるだけでなく、20生起の中頃に設計された国際諸機関が21世紀の諸問題に対処する能力がないからだ、というのです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/18/AR2008051801909_pf.htm
(5月21日アクセス)による。)
3 民主主義諸国連盟構想を否とする意見
 この構想に対して、以下のような様々な批判が投げかけられています。
 一つは、民主主義国なのかどうか定かではなく、民主主義諸国とタリバンのような連中とに二股膏薬するようなパキスタンのような国や、民主主義国ではあっても、ミャンマーの軍政当局を擁護したりイランとエネルギー協定を結んだりしているインドのような国をどうするのか、という批判です。
 歴史の終焉どころか、歴史は再来し、冷戦時代と同じような、(反民主主義諸国側でこそないけれど、)非「民主主義諸国連盟」、部分的「民主主義諸国連盟」、しぶしぶ「民主主義諸国連盟」と形容されることになりそうな国が沢山ある、というわけです。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/05/18/books/review/Sanger-t.html?ref=world&pagewanted=print  
(5月18日アクセス)による。)
 二つには、歴とした民主主義国ならば、共通の利害と物の見方を持つがゆえに、世界の諸問題について協調して行動をとることを可能ならしめるというのは幻想であって、大部分の国は、自国の外交政策は、地域的アイデンティティー、経済上の必要性、歴史的伝統、宗教的様相、といった様々な要素を反映して行動をとる、という批判です。
 国連で米国等の政策イニシアティブに抵抗するのはロシアや中共といった反民主主義国家だけでないのであって、アルゼンチン、ブラジル、インド、メキシコ、南アフリカ等、大部分の発展途上民主主義諸国が、国際介入、通商政策、対テロ戦争等に関し、米国等と根本的に見解を異にしている以上、これら発展途上民主主義諸国を加えた民主主義諸国連盟は機能しないし、さりとてこれら諸国を加えなければそれは空虚な偽善的機関ということになってしまうというのです。
 三つには、反民主主義諸国だって多くの重要な事柄に関し貴重なパートナーとなっているという批判です。
 例えば、カタールは、最近のレバノンでの交渉に立ち会ったし、エジプトはイスラエルとガザのハマスとの休戦を仲介したし、ロシアはイランの核問題で不可欠な役割を果たしているし、中共はミャンマーの状況改善には欠かせないのであって、これら諸国を排除した民主主義諸国連盟が国際的な平和と安全の増進にどれほどのことができるというのか、というわけです。
 (以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/05/27/AR2008052702555_pf.html  
(5月29日アクセス)による。)
 四つには、民主主義諸国連盟構想は、民主主義の全世界への普及という旗をかかげることで、国連を事実上迂回しつつ世界を二つの陣営に引き裂くものであり、戦争の危険を増大させるという批判です(
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2008/06/25/2003415622  
。6月25日アクセス)。
 五つには、民主主義の正当性は、被治者の同意に由来するところ、民主主義諸国が自分達以外の国々において行動するにあたっては、このような正当性が得られないという批判です。
 これに対し、国連は世界のほぼ全ての国が加盟しているという普遍性があり、だからこそ国連での諸決定は正当性が得られるのだ、というわけです。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/may/27/unitednations.usa 
(5月27日アクセス)による。)
4 感想
 私は、民主主義諸国連盟構想そのものには与しません。
 NATOの(名称変更による)アジア太平洋への拡大か、アジア太平洋版NATOの創設を図るべきだ、というのが私の見解です。
 NATOがこれまで行ってきた、コソボへの人道的介入やアフガニスタンへの派兵に類することをこの新しい機構も行うことになります。
 さしあたり考えられる加盟国は、アジア太平洋地域で、何らかの形で二国間安全保障取り決めを米国と結んでいるところの、米国、日本、韓国、フィリピン、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドです。台湾は加盟国たりえませんが、米国が行っている台湾防衛へのコミットメントは、この新しい機構も行うことが望ましいと思います。
 そのための必要条件は、自立した日本以前に、集団的自衛権を行使できる日本です。
 というより、日本が集団的自衛権を行使できないから、これまでこのような機構ができていないのです。
 北朝鮮の核をめぐる六カ国協議の枠組みを、北東アジアにおける集団安全保障の枠組みとして恒常化すべきだとする議論があります(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7472531.stm
。6月25日アクセス)が、こんなものはミニ国連のようなものであり、ないよりはマシ程度に受け止めるべきでしょう。