太田述正コラム#2683(2008.7.22)
<捕まったカラジッチ>(2008.9.3公開)
1 始めに 
 ジェノサイドの罪に問われ、12年以上も逃走を続けていた、ボスニアのかつてのセルビア人の指導者、カラジッチ(Radovan Karadzic。1945年~)が、7月21日、セルビアで逮捕されました。
2 逮捕について
 何年にもわたって、セルビアのコスツニッツア(Vojislav Kostunica。1944年~)大統領率いる民族主義的な政権は、カラジッチらの逮捕に協力すると口では言ってきたものの、何の進展もありませんでした。
 今月初め、セルビアにおいて、民主的な選挙で、スヴェツコヴィッチ(Mirko Cvetkovic。1950年~)を首相とし、改革派の大統領であるタジッチ(Boris Tadic。1958年~)と連携した親西側的な10党連立政権が成立しました。
 この政権は、改革とEUとのより緊密な関係樹立を謳っています。具体的には、一年以内にEU加盟候補国になり、5年以内にEU加盟を果たそうというのです。
 これに対しEU側は、セルビアに対し、カラジッチと、カラジッチの下でボスニアのセルビア勢力の軍事指導者を務めたムラジッチ(Ratko Mladic。1943年~)の逮捕に努力するよう求めました。
 このような状況の下、セルビアの新政権は、政権発足後何週間も経たずして、この二人のうちの一人、カラジッチを逮捕して見せたわけです。
 ボスニア戦争終結後1年も経たないうちにカラジッチはボスニアのセルビア人の政治的指導者の地位を退き、ムラジッチはOBや現役の将校に匿われてセルビアに潜伏し、カラジッチはボスニアのセルビア人地区(かつてカラジッチらが樹立したボスニアにおけるセルビア共和国(Republika Srpska)地区)に潜伏していると思われていたところ、カラジッチがセルビアで逮捕されことはちょっとした驚きをもって受け止められています。
3 カラジッチの犯した罪
 カラジッチは、軍閥にして詩人にして精神病医にしてギャンブル狂であると評されている人物です。
 カラジッチは、1992~95年のボスニア戦争の時にボスニアのセルビア人の政治的指導者として、6ヶ月でボスニア全土のほとんど三分の二をセルビア人の支配の下に置き、サラエヴォ(Sarajevo)を分割し、3年間にわたって、セルビア人支配下にない同市中心部の包囲攻撃を続けました。そして、ボスニア戦争末期の1995年7月にはセルビア人の部隊がスレブレニッツァ(Srebrenica)において数週間にわたってイスラム教徒8,000人を虐殺したことや、ボスニア戦争全体で10万人の死者を出し、200万人の非セルビア系をその居住地域から追放したことについて責任があります。
 国連安保理によって15年前に設立された、オランダ・ハーグの国際戦犯法廷(international war crimes tribunal)の初代首席検察官は、1995年に二度にわたって、カラジッチをムラジッチと共に計16の件で起訴しています。(後に、15の件に減った。)上記虐殺や非セルビア系に対する組織的暴力行使のほか、国連平和維持要員を人質にとった件、恐るべき虐待が行われたミニ収容所群を設立した件等です。
 起訴状には、「1992年4月以降、ボスニア・ヘルツゴヴィナ共和国の領域において、その作為及び不作為によって、<カラジッチとムラジッチは>ジェノサイドを行った」とあります。
 なお、カラジッチとその一味は、ボスニア戦争中及び戦後のアルコール飲料、燃料、タバコの密貿易により、巨額の富を蓄積したとされています。
4 カラジッチの逃避行
 カラジッチは、ボスニア東部の僻地のセルビア正教の修道院や山中の潜伏可能な洞窟を転々として逃避行を続けました。彼は時には僧に変装したとも言われています。
 彼は、ボスニアのパレ(Pale)・・戦争中はボスニアのセルビア人地区の首都となった・・に住んでいる家族に会うために、救急車の赤色灯を点滅させながら、NATO軍の検問所を通り抜けたこともあります。
 彼の妻は、2005年7月に、カラジッチに「家族のために」出てきて投降するように促したことで世間を驚かせました。そしてその後1週間も経たないうちに、今度は彼の息子が、戦争犯罪について責任のある人物は全員、「たとえそれが自分の父親であっても」裁きを受けなければならないと述べました。
 カラジッチは、隣接しているモンテネグロに彼の病気の母親を訪ねたことがあるとも報じられています。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/22/warcrimes.internationalcrime
http://www.guardian.co.uk/world/2008/jul/22/warcrimes.balkans1
http://www.nytimes.com/2008/07/22/world/europe/22karadzic.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/07/18/AR2008071802562_pf.html
(いずれも7月22日アクセス)による。)
5 終わりに
 元セルビア(ユーゴスラビア)大統領ミロシェビッチ(Slobodan Milosevic。1941~2006年)は、国際戦犯法廷にコソボ紛争でのアルバニア人住民に対するジェノサイドの責任者として人道に対する罪で起訴されたものの、収監先で死亡しました(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%80%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%93%E3%83%83%E3%83%81
。7月22日アクセス)。
 果たしてカラジッチが、欧州人として、初めて国際戦犯法廷で有罪判決を受ける人物になるかどうか、注目されるところです。