太田述正コラム#13528(2023.6.6)
<太田茂『新考・近衛文麿論』を読む(その45)>(2023.9.1公開)

 「・・・ノーマンの基本的視点には、列強のアジア・アフリカの帝国主義、植民地支配やソ連の中国満洲への勢力拡大の野望に対する批判がほとんどない。

⇒それがノーマンの本心だったかどうかはともかくとして、それが、彼が終戦後勤務していたGHQ、ひいては連合国群、の戦前日本史観であったことは間違いなく、かつまたそれは、丸山眞男ら戦後の東大を中心とした進歩的文化人
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E6%AD%A9%E7%9A%84%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%BA
達の戦前日本史観と同じです。
 (「姜尚中<は、>・・・丸山が想定する「冷厳な国家理性」には「植民地の獲得,経営,防衛」などが含まれているとしている」
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=28645&item_no=1&attribute_id=28&file_no=1
が、私も同感です。)
 著者は、この史観を批判する覚悟が本当にあるのでしょうか。
 仮にあるとして、もう少し腰を落とした緻密な批判を行うべきでした。(太田)

 日本がアジアに進出することは、それ自体を悪とし、秀吉の晩年の誇大妄想的な老害であった「朝鮮征伐」の延長線上でしかとらえていない。

⇒丸山は、秀吉については、ネットでざっと調べた限り、「豊臣秀吉の有名な刀狩り以来、連綿として日本の人民ほど自己武装権を文字通り徹底的に剥奪されて来た国民も珍らしい」
https://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/maruyama/hatsugen/hatsugen5-2/hatsugen5-2-2.html
くらいのことしか語っていないようですが、秀吉による「朝鮮征伐」については、恐らく、ノーマンのこの見解と大差のない見解を抱いていたことでしょう。(太田)

 したがって、近衛篤麿や頭山の大アジア主義についても、それは日本の膨張主義、排外主義、侵略主義でしかないと斬り捨てている。・・・」

⇒丸山は、「日本の右翼には最も進んだナチス型から、ほとんど純封建的な、遠く玄洋社につらなる浪人型まで実に系譜が雑駁です。そこには「近代」の洗礼をうけたものが殆ど見当らない。ファッショ的というよりも幕末浪人的類型が支配的であります。フリーダ・アトリーの「日本の粘土の足」( Japan’s Feet of Clay )という本の中に、右翼指導者を「封建時代の浪人とシカゴのギャングの Cross である」といっているのは至言です。例えば右翼運動の大御所が頭山満というような人物であったこと、そこにも右翼運動の特質が象徴されています。ヒットラーやムッソリーニの生活様式と頭山満の生活様式を比べると、前者に見られるような生活の計画性は、頭山満には恐らくないだろうと思います。例えばここに「頭山満翁の真面目」という本があります。その中にいろいろ頭山さんの談話が書いてありますが、一つ例を挙げて見ると、若い頃のことでこう書いてある。
 「あれは血気盛りの26,7の頃ぢや。東京に出て来て5,6人の仲間と一戸を借りて居つた。傘も下駄も揃って居るのは初めの中で、やがて何もなくなる。蒲団もなくなる。併し裸生活は俺れ位のもので他の連中は裸では通せんであつた。弁当を取って食ふ。金は払はん。そこで弁当屋の女が催促に来る。俺れは素裸で押入れの中から出るものぢやから、女中、あつと魂消(たまげ)て退却ぢや。2,3日は、俺れは食はんでも何ともなかつたのぢや。」
 借りた金は返さないし、こういう手段で撃退することになにか誇りを感じている。この手でやはり高利貸も撃退した話もしております。どう見たって「近代的人間類型」には属さない。ここには近代的合理性は一片もない。右翼的人間は頭山だけではなく、こういった共通性がみられるのであります。又右翼団体の内部構成を見ても多分に親分子分的組織をもっている。前に申しましたようにあれほど右翼に有利な情勢に恵まれながら右翼運動の統一戦線は一度も出来なかった。何度も統一が唱えられるのだけれども、一旦は結びついてもすぐに分裂して、互に口ぎなたく<(ママ(太田))>罵り合う。親分中心の結合であるからどうしても規模が小さいし、めいめい自分の神様を押し立てて拮抗する。」(丸山真男「日本ファシズムの思想と運動」(東洋文化講座、第二巻、1948年5月、白日書院)より)
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%B8%E5%B1%B1%E7%9C%9E%E7%94%B7%E9%9B%86%E3%80%88%E7%AC%AC3%E5%B7%BB%E3%80%89%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E5%85%AD%E2%88%92%E4%B8%80%E4%B9%9D%E5%9B%9B%E5%85%AB-%E4%B8%B8%E5%B1%B1-%E7%9C%9E%E7%94%B7/product-reviews/4000919539/ref=cm_cr_dp_d_show_all_btm?ie=UTF8&reviewerType=all_reviews
と、頭山を口汚く貶めているのに対し、近衛については、「丸山眞男によって日本新聞社や政教社の思想が「健康なナショナリズム」と評された」
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/281950/1/eda69_015.pdf
・・「丸山眞男<は、>・・・明治前期に<は、>・・・リアリスティックな国家理性の「自覚」があったと<す>る・・ところ、「この時期の近衛の主張は,直訳的欧化主義に対抗した政教社系ナショナリズムに近いとされ」、
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/150752/1/ynink00132.pdf
それは、「近衛篤麿と日本新聞社とが政治的な活動を共にするようになる時期でもあった・・・」
http://mass-ronbun.up.seesaa.net/image/2011E7A78BE3839EE382B9E382B3E3839FE5ADA6E4BC9AE7A094E7A9B6E799BAE8A1A8E8AB96E69687EFBC88E79FB3E5B79DE5BEB3E5B9B8EFBC89.pdf
といったことから、一定の評価をしていた可能性があって、ノーマンとは、この点では違いがあるかもしれません。
 (今気が付いたのですが、どうやら、丸山眞男史観≒司馬遼太郎史観、と言ってもよいのかもしれませんね。)(太田)

(続く)