太田述正コラム#2737(2008.8.18)
<サルコジ批判(その4)>(2008.9.28公開)
他方、女、とりわけ自立心の「強い」女なしでは生きていけないサルコジであるとは言っても、彼がカーラを愛人にせず、三番目の正式の妻にまでしたのはどうしてなのでしょうか。
セシリアとカーラについての私の記述をお読みになった方はお気づきでしょう。
セシリアとカーラはあらゆる点で生き写しなのです。サルコジより高い身長だって、容姿だってそっくりです。
カーラが唯一いやがるのは、この点を指摘されることです。
(一方、カーラとサルコジの一番目の妻であるマリー・ドミニクとは奇妙な友情感覚が生まれているようだ。セシリアという共通の「敵」がいるからか。サルコジ自身、マリー・ドミニクとは良い関係を維持してきたという。)
そうです。
サルコジにとって、カーラはセシリアの替えにほかならないのです。
ここで、セシリアとカーラを比較してみましょう。
セシリアは、サルコジと同棲生活に入ってからは、正式に結婚してからはもちろんのこと、女の操をサルコジ捧げました。そして、彼女と生活を共にするようになってから、サルコジは「出世」を続け、最終的に大統領に登り詰めるわけです。
セシリアはサルコジにとってまさに「あげまん」を絵に描いたような存在であり、セシリアの内助の功は絶大であったと言わなければなりません。
これに対し、サルコジはセシリアをやたら拘束する一方で、自分は女漁りを続けたのですから、愛想を尽かしたセシリアが最後にサルコジを裏切ったのはサルコジの自業自得というやつです。
他方、カーラはどうか。
カーラは、最初はモデルとして、後には歌手として活躍するわけですが、これには本人の努力もあったことは否定できないものの、(恐らく)美男美女であったに違いない(実の)父親と母親、そしてまたどちらも音楽家であったところのこの二人から受け継いだDNAに負うところが大きいのではないでしょうか。
彼女が7年間の同棲生活を男性側から一方的に破棄されたのは、カーラが、(恐らくは)同棲生活中も男漁りを続ける一方で、この男性の職業人(哲学者等)としての自己実現に何の貢献もしなかった・・できなかったと言うべきか・・ことの当然の報いであったのではないかと思うのです。
女狂いについて、何の理屈も述べようとしてこなかったサルコジと違って、カーラは、若い頃、単婚を退屈でばかげていると宣ったけわけですが、年齢を重ねるにつれて、この言にもかかわらず、彼女の男性「哲学」は、次第に保守的なものへと変遷を遂げ、芸能人相手の手当たり次第の男狂いの時代から始まって、7年間という比較的長期にわたる特定のインテリたる男性との同棲を軸とした男漁りの時代を経て、ついに最高権力者たるサルコジとの結婚(カーラにとっては初婚)と男漁りの放棄へとたどり着くわけです。
このようにカーラは、親から受け継いだ遺伝的形質のおかげで、さして労することなく、その大きな欲望を、その発現形態を少しずつ変えることによって、高度に充足させてくることができた人物なのです。
私としては、以上から、人間としてカーラはセシリアに劣る、と思っているのですが、いかがなものでしょうか。
サルコジは、幸せな青春時代を送ったセシリアやカーラとは違って、不幸な青春時代を送りました。
サルコジが4歳の時に父親が出奔してしまい、サルコジは父なし子として貧しい少年時代を送ります。しかも、サルコジの身長が低いことも彼を悩ませました。
サルコジは公立中学校1年の時、落第してしまい、カトリック系の私立学校に転校しますが、ここでも成績が振るわなかったにもかかわらず、大学入学資格試験(baccalaureat)には合格します。
こうしてサルコジはパリ大学ナンテール校に入学し、私法、そして後にはビジネス法の学位を得ます。
卒業後、彼はいわゆるグランゼコール(grande ecole)の一つであるパリ政治研究学院(Institut d’Etudes Politiques de Paris)に入学しますが、英語力不足により、卒業することができませんでした。
彼はその後、司法試験に通り、ビジネス法と家族法を専門とする弁護士になり、やがて政治活動に乗り出して行くことになります。
フランスのエリートの大部分はグランゼコールのどれかを出ており、グランゼコール落第生のサルコジは大変なハンデを負っていただけに、彼は、命を的にした派手なパーフォーマンス(コラム#2014)等によって政治家として「出世」して行くのです。
私は、サルコジの異常なまでの権力欲や女漁りは、彼の不幸な青春時代のコンプレックスが原因ではないかと考えています。
こうしてみると、サルコジとカーラというのは、方や、コンプレックスによって欲望が肥大した男であり、方や、生来的に欲望が肥大している女であり、欲望が肥大化している点で似合いのカップルであると言えるのではないでしょうか。
この二人にとっては、職業は、単に彼らの欲望を充たす手段に他ならないのであって、たとえその職業が公的なものであっても、しかもその職業が公職の最高位であっても同じであると思われます。
そうだとすれば、フランス国民は、今後ともサルコジとカーラのトンデモ・カップルによる公私混同ぶりに悩まされ続けることになるでしょう。
フランス国民は、大統領選の際に投票すべき人物を誤ったのか、それとも元首(大統領)直接選挙制は本来的に危うい政治制度なのか、あるいはそもそもフランス国民のレベルが低いのか、皆さんどう思われますか。
ひょっとしてすべて正しいのかもしれませんね。
私のセシリア、カーラ評、そしてサルコジ評についてご異議ある方の反論もぜひどうぞ。
(完)
サルコジ批判(その4)
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面白いです。