太田述正コラム#2420(2008.3.13)
<日本をめぐる話題(その4)>(2008.10.10公開)
4 原爆投下
 (1)前置き
 ロバート・オッペンハイマー(Joseph Robert Oppenheimer。1904~1967年)の伝記である、Kai Bird and Martin J. Sherwinによるところの’AMERICAN PROMETHEUS The Triumph and Tragedy of J. Robert Oppenheimer’が上梓されたのは2005年前半だというのに、今年になって、1月にガーディアンがその書評を掲載したと思ったら、同紙は2月にもまた書評を掲載しました。
 そこまでガーディアンが入れ込むのであれば、オッペンハイマーのことをいつかコラムで取り上げなければいけないと思っていました。
 それがどうして「日本をめぐる話題」であるのかはすぐ分かります。
 (2)ロバート・オッペンハイマー
 オッペンハイマーがいなくても核兵器は早晩開発されたでしょうが、先の大戦が終わるまでにはできなかった可能性があるとされています。このような意味で、まさにオッペンハイマーは原爆の父なのです。
 オッペンハイマーはニューヨークのドイツ系ユダヤ人の家に生まれました。
 ハーバード大学で化学を専攻し、ケンブリッジ大学で物理学に魅入られ、ゲッティンゲン大学で理論物理学の博士号を取得します。
 帰国後はカリフォルニア大学バークレー校の教授を勤めますが、彼はインドの古典であるバガバッド・ギータ(Bhagavad Gita)をサンスクリットで読むほど大好きな幅の広い人物であるとともに、政治や社会に強い関心を持ち、共産党シンパであって労働運動を支援したりスペイン内乱の反ファシスト側に献金したりするような人物でもありました。
 1939年にドイツの二人の科学者がウラン原子の原子核に中性子をぶつけるとその核が分裂すると発表しました。
 米国で1942年に陸軍の所管の下で、ナチスドイツが原爆を開発するより前に原爆を開発しようとする計画、いわゆるマンハッタン計画が立ち上がると、オッペンハイマーはその科学面での責任者に任命されます。
 彼の尽力により、1945年7月、米国は原子爆弾の開発に世界で初めて成功し、8月にはそれが広島と長崎に落とされます。
 オッペンハイマーは、広島に原爆を投下する準備をしていた士官に、「高すぎる位置で爆発させるな。そうすると目標に大きな損害を与えることができないからね。」といったアドバイスまでしています。
 しかし、広島に次いで長崎に原爆が投下され、日本が降伏してしばらくするとオッペンハイマーの頭髪は一挙に真っ白になってしまいます。
 「われわれは、既に敗北していた敵に対して原爆を使った」と1946年に記していることからも、彼が強い良心的呵責に苛まれていたことが推察できます。
 彼は、1945年にトルーマン大統領に内輪の会で会った際、「私の手は血にまみれている」と繰り返し語りかけ、トルーマンを怒らせています。「泣き虫小僧の科学者め」というわけです。
 後に、ハンガリー生まれの理論物理学者のテラー(Edward Teller。1908~2003年)らが水爆開発計画に乗りだした時、オッペンハイマーは、原爆より1,000倍も強力な「水爆は、戦争のための兵器ではなくジェノサイドのための兵器だ」と批判しました。
 そして、プリンストン大学の高等科学研究所(Intstitute of Advanced Study)の所長となったオッペンハイマーは、新しく設けられた米原子力委員会(Atomic Energy Commission)の首席科学顧問として、核廃絶は不可能だとしても、せめて核を国際管理の下に置くべきだと主張したのです。
 これに反発した勢力は、オッペンハイマーにスパイの嫌疑をでっちあげて彼を失脚へと追い込むのです。
 米国の科学者達が、自分の狭い専門領域以外の発言を自粛するようになってしまったのはそのためだとされています。
 (以上、
http://books.guardian.co.uk/reviews/biography/0,,2243588,00.html  
(1月20日アクセス)、
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,2250818,00.html
(2月2日アクセス)、
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A35705-2005Apr7?language=printer
http://www.bookslut.com/nonfiction/2005_10_006820.php
(どちらも3月13日アクセス)による。)
 (3)感想
 オッペンハイマーやマクナマラ(コラム#122、123)のように、原爆投下や日本の都市への戦略爆撃への自らの関与について良心の呵責に苦しむ人々が米国にいることは、われわれ日本人にとって、せめてもの慰めですね。
(完)