太田述正コラム#2458(2008.3.31)
<駄作史書の効用(その3)>(2008.10.15公開)
  ウ 近代における最初の非西側国家として欧州列強の一つであるロシアの帝国艦隊を1905年の日本海海戦(battle of Tsushima)で壊滅させ、21世紀の初頭を、最も近代的な国家として、ただし近代的な国家のうち最も西側的でない存在として迎えたところの日本に言及せずしてパグデンが東西間の抗争の歴史を描いたと称したのはおかしい。
  エ ロシアについて余り触れていないのもおかしい。ロシアはアジア的であると同時に欧州的、宗教的であると同時に反宗教的であって東側とも西側とも言い切れないところ、これは東と西を対置させるパグデンの発想そのものの限界を示唆するものだ。
 このこととも関連するが、1980年代のソ連と、米国から潤沢な支援を受けていた超原理主義的戦士達との抗争において、どちらが東でどちらが西かなんて分かるわけがない。
  オ パグデンは西側世界が世俗主義を東側世界に広めたことで東側世界の大部分の人々は裨益したと主張するが、ロシアや支那の人々は西側世界産の共産主義なる世俗主義を広められたことを本当に喜んでいるだろうか。
 それに、最も有名な西側世界の国家たる米国が極めて宗教的であるのみならず、最近では一層キリスト教原理主義に傾きつつあるところをみると、そもそも西側世界が世俗主義の旗手であるかどうかすら疑ってかかった方がよかろう。
  カ サウディアラビアの国家宗教たるイスラム教ワハブ派(コラム#55)は、アルカーイダを鬼子として生み出したが、極めつきに非妥協的にして非寛容だ。しかしこれは、1920年代当時、中東の覇者であった英国が下した戦略的諸決定の所産である面が大きい。
  キ 西側世界を人間の意志(世俗主義)、東側世界を聖なる布告(神政主義)とするのであれば、キリスト教神学において、神の命令(command)の下においてこそ真の自由(freedom)を享受できるとしていることをどう説明するのか。
  ク 1931年にロンドンを訪問したガンディーは、英国のジャーナリストに西側文明をどう思うかと聞かれ、「それはいいアイディアかもね」と人を食った回答を行ったし、1942年にジョージ・オーウェル(コラム#739、1105、2079)は、「キップリングの世界観など、それを受け入れることはもとより口にすることを許すことすら文明世界の人間には不可能だ」と記した。
 総括的に言えば、西側世界が自由、個人主義、理性、政教分離をひっさげて不正義で非理性的な東側世界と戦うといったパグデンのマニ教的歴史観はかつてのイギリスのホイッグ史観(コラム#1794)の焼き直しであり、ナンセンスだ。
 彼のように、米国をアテネと同一視し、イスラム教徒をペルシャ人と同一視するなどということをすれば、歴史は進歩するどころか過程でさえなくなり、恒久的に暗礁に乗り上げた代物と化してしまうだろう。
 アテネは、自らが中心となってBC490年のマラソンの戦いとBC480年のサラミスの海戦でいずれもペルシャ軍を打ち破ったBC5世紀の初めには確かに民主主義だったが、その100年前はそうではなかったし、またその100年後はそうではなくなっていた。実際その100年後の頃の産物であるところの、プラトン(Plato。BC424/423~BC348/347年)の『共和国』やアリストテレス(Aristotle。BC384~BC322年)の『政治学』は、どちらも反民主主義的色彩を帯びている。他方、ペルシャの支配下にあったイオニアのギリシャ諸都市は東方の専制主義によって窒息させられることはなかった。イオニアのギリシャ人であるアナクシマンドロス(Anaximander。BC610?~BC546?年)やヘラクリトス(Heraclitus。BC535?~BC475?年)らによって哲学が生まれたことを想起してほしい。
 だから、たとえマラソンとサラミスでアテネが敗れていたとしても、形こそ違えども、ギリシャ文明は続いていたことだろう。
 以上から、ペルシャ帝国(BC550BC~BC330年)と、その最盛期とほぼ同じ領域を征服したところのアレキサンダーの帝国とを対置させるというのも、この二つが瓜二つの普遍主義的な帝国であったことだけからも、変な話であることが分かるだろう。
 更に言えば、パグデンが西側世界の精華としてアテネの政治家ペリクレス(Pericles。BC495?~BC425年)やフランスの哲学者のモンテスキュー(Montesquieu。1689~1755年)らを引き合いに出す一方で、ローマ皇帝のネロ(Nero。37~68年)やフランス皇帝のナポレオンには口を拭っているのもいかがなものか。西側世界の歴史の大部分において最も顕著に立ち現れるものは暴力、非寛容、支配欲だ。黒人奴隷制やホロコーストだって紛れもなく歴史的に西側世界のアイデンティティーに属する。
 結局のところ、パグデンが対置させた二つの原理や価値観を巡る抗争は、「東」と「西」の間だけでなく、「東」、「西」それぞれの中においても行われてきたと言うべきだろう。
(続く)