太田述正コラム#2461(2008.4.1)
<駄作史書の効用(その4)>(2008.10.16公開)
3 コメント
 (地理的意味での)欧州・オリエント史を、アナトリア半島あたりに線を引いて論じているところに、パグデンはもとより、パグデンの新著を批判している米国の有識者や米英のミーチャンハーチャンの限界があるのです。
 (英テレグラフは大衆紙です。)
 恐らく、ガーディアンやファイナンシャルタイムスがこの本を書評で取り上げることはありますまい。
 単に愚著だからというだけではありません。
 絶対に明かしたくないイギリス人の有識者のホンネを明かさなければならなくなるからです。
 では何が彼らのホンネか?
 もうお分かりですよね。私がかねてから口を酸っぱくして言い続けていることですが、イギリスの有識者のホンネは、線はドーバー海峡(English Channel)に引かなければならない、というものです。
 このホンネに照らすとどういうことになるでしょうか。
 ヘロドトスが「ギリシャ人は、「人間性に関する個人主義的見解」を抱いていたのに対し、ペルシャ人は戦場においては勇気と凶暴さを発揮しつつも社会生活においては、「臆病、卑屈、恭順、偏狭にして個人的発意に乏しく、人間集団というより群れ」であると」と喝破したのは誤りであり、ギリシャ人だって「人間性に関する個人主義的見解」を抱いていたとは言えない。
 何となれば、古典ギリシャにおいて、民主主義的政治が機能したのは、わずかにアテネだけにおいて、しかも1世紀間内外の期間に過ぎず、その上このアテネの民主主義なるものは、アテネ市民たる成人男子だけが有権者であって、アテネの人口の多数を占める女性や奴隷(や外国籍人)は投票権も被選挙権も認められていないという偏頗なものだった(典拠省略)からだ。要するに、ギリシャもペルシャも独裁制ないし寡頭制の下にあったということだ。
 それに、そもそも住民が「人間性に関する個人主義的見解」を抱く前提要件として、民主主義よりも重要なのは自由主義だ。
 法治主義の起源はギリシャではなく、紀元前2100年前後に制定されたウル・ナンム法典(Code of Ur-Nammu)法典等を生み出したメソポタミア(
http://en.wikipedia.org/wiki/Ur-Nammu
。4月1日アクセス)だが、いずれにせよ法治主義は自由主義(ないし個人主義)成立の必要条件ではあるものの十分条件ではない。
 結論的に言えば、ペルシャ同様、古典ギリシャも自由主義とは無縁だった。
 このような背景の下、プラトンやアリストテレスが哲学者による統治、要するに独裁制、を推奨したのはしごく自然なことであったと言えよう。
 早くもアテネ市民たる修辞学者イソクラテス(Isocrates。BC436~338年)は、プラトンの描いた理想国家はエジプトの国家と生き写しだねと、プラトンの『共和国』のパロディー本で指摘したと伝えられるが、オーストリア出身のイギリスの哲学者であるポッパー(Karl Popper。1902~94年)が1945年に上梓した『開かれた社会とその敵』の中で、プラトンの『共和国』は欧州の近代全体主義の起源であると記したことはよく知られているところだ(
http://en.wikipedia.org/wiki/Plato’s_Republic
。4月1日アクセス)。
 すなわち、欧州の近代全体主義の起源は古典ギリシャなのであり、イギリスは(地理的な意味における)欧州の中で、古典ギリシャの影響をこのような意味で免れた、本来的自由主義社会であるという点でユニークなのだ。
 ここで古典ギリシャの話を終えると、古典ギリシャは後世に負の遺産しか残していないということになりかねないが、合理論(演繹的)科学という正の遺産を残したことも忘れてはなるまい。
 しかし、この合理論科学が、すぐ後で言及するキリスト教に取り入れられて堕落し、欧州中世のスコラ哲学や後のマルクスの哲学等の全体主義哲学を生み出したこともまた事実だ。
 さて、欧州の近代全体主義のもう一つの起源はユダヤ教であり、とりわけその流れを汲むキリスト教だ。ついでに言えば、イスラム全体主義の起源は、言うまでもなく、ユダヤ教及びキリスト教の流れを汲むイスラム教だ。
 だから、欧州と世俗主義、オリエントと神政主義とをそれぞれ結びつけるパグデンの考え方はおかしい。欧州もオリエントも世俗主義が本当の意味で根付いたことはない点で変わりはないからだ。
 イギリスは(地理的な意味における)欧州の中で、キリスト教の影響をこのような意味で免れた、本来的世俗主義社会であるという点でユニークなのだ。
 このように、対置されるべきは、イギリスと欧州・オリエントなのだ。
 どうしてイギリスはかくも欧州・オリエントと異なるのだろうか。
 それは、古典ギリシャとキリスト教によって形成されたローマ文明の影響をイギリスは(地理的意味における)欧州の中で唯一免れたことによって、純粋なゲルマン的生活様式を維持し続けることができたからだ。
 この純粋なゲルマン的生活様式は、個人主義に立脚したところの、判例法(コモンロー)に裏打ちされた自由と格物致知を身上とする世俗的なものであり、ここから個人主義に立脚したところの、自由主義と経験主義(帰納的)科学を身上とする世俗主義的なイギリス文明(アングロサクソン文明)が生まれた、というわけだ。
 
 大急ぎでまとめましたが、以上です。
 なんだ、イギリスの有識者のホンネと言うが、単に太田の考えじゃないか、後半には典拠が示されていないし、とおっしゃる方がおられるかもしれません。
 後半に典拠をつけなかったのは、既にこれまでのコラムで畿度となく論じてきていて、その折々に相当詳細な典拠をつけているからです。
(完)