太田述正コラム#13660(2023.8.11)
<松下憲一『中華を生んだ遊牧民–鮮卑拓跋の歴史』を読む(その17)>(2023.11.6公開)
「・・・唐代に描かれた「宮楽図」を宋代に描きなおした模本<が>・・・台北の故宮博物院に収蔵されている。
この絵に・・・描かれている・・・イスとテーブル、胡琵琶、ペットとしての犬、そして女性たちの化粧と服装・・・は漢の<時代>にはな<かった>ものである。・・・
漢までの中華世界では、席という草を編んだものや毛織物の敷物のうえに跪座<(注47)>するのが礼儀正しい座り方とされた。
(注47)「両膝をつき、足を爪先立てて、腰をおろした姿勢」
http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/lessons/reihou/manners/basic/standandsit.html
(参考1)正座。「正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。 平安装束に見られる十二単や神職の袍は、下半身の装束が大きく作られており、正座には不向きで、あぐらを組むことを前提に作られている。
江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。・・・
江戸時代以前には「正座」という言葉はなく、「かしこまる」や「つくばう」などと呼ばれていた。1889年に出版された辞書『言海』にも「正座」という言葉が出ていないことから、「正座」という観念は明治以降に生まれたと考えられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%BA%A7
(参考2)胡坐。「結跏趺坐は座禅を組むときの座り方で、如来像で多く見られ、両腿それぞれに逆側の足の甲をのせてあぐらをかきます。・・・半跏趺坐はあぐらをかき、右足の甲をのせた形です。・・・菩薩坐像に多く見られます。」
http://www.taradou.com/?mode=f62
初期の釈迦如来像も結跏趺坐している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E5%83%8F#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:TrilogyDetail.JPG
そののち、床(しょう)・・・が登場する。
現在、中国語で床(チュアン)というとベッドを指すが、当時の床は座るための道具で、足の短いベッドのような形をしている。・・・
秦の始皇帝の玉座は・・・<この>床・・・だったのである。・・・
後漢末の霊帝が、・・・胡俗を好んだので、洛陽の貴族たちが競ってまねしたという話が『後漢書』・・・にある。・・・
このなかに胡牀と胡坐が出てくる。
胡牀は胡床つまり腰掛のこと。
胡坐は・・・足を垂らして座るスタイルをさす。・・・
胡床は・・・背もたれはない・・・。
背もたれつきの椅子が登場するのは唐の玄宗期・・・<であり、>唐末五代になると広く使用されるようになり、宋代ではすっかり定着する。・・・
⇒日本人の生活は、明治期になるまで、椅子とは基本的に無縁であり続けたわけですが、これは、私見では、遊牧民文化の影響を殆ど受けなかったためだけではなく、如来像が胡坐をかいていることから、胡坐が悟ること・・私の言う人間主義化・・に繋がるものと受け止められたからではないか、というのが私の仮説です。(太田)
<また、>現在の中国でも、東北地方などでは犬肉料理は食べられる。・・・
提供しているのは漢民族ではなく、朝鮮族の人たちである。
漢民族は隋唐を境に犬肉を食べなくなっていった。
その背景に犬を生活のパートナーとする遊牧民の中華世界への進出があった。・・・」(215~216、229)
⇒ちょっとした驚きでしたが、日本では、仏教的禁忌以後も、比較的最近まで犬肉食がなされていたようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96
日本は遊牧民文化の影響を殆ど受けなかったのですから、当たり前と言えば当たり前ですが・・。(太田)
(完)