太田述正コラム#13722(2023.9.11)
<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』を読む(その2)>

 「・・・かつての日本にとって中国は、現在のアメリカ合衆国以上の圧倒的存在であった。・・・
 選択肢としてはヨーロッパもあればアジアもある<現在とは違って、>・・・飛鳥・奈良時代から平安時代前期の日本にとって大唐帝国は、いわば唯一無二の絶対的存在であった。
 百済・新羅や渤海があったとはいえ、それらはいずれも漢字と律令制と仏教文化を受け継いだ東アジア文明圏の兄弟のようなものであって、父であり母であり師匠であったのはひとえに唐であった。・・・

⇒一番当てはまるのは渤海であり、「渤海国の公用語は初め靺鞨語が使用されていた<が、>・・・その後、言語の漢化が進んで次第に漢語が公用語となった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A4%E6%B5%B7_(%E5%9B%BD)
ところですし、新羅においても、757年に、地名の支那化なる、日本文明・・より的確にはプロト日本文明後期(拡大弥生時代期)・・から漢人文明への乗り換え、がなされた(コラム#9510)ところですが、私見では、日本に関しては、厩戸皇子(皇太子:593~622年)以来、天武朝時代(673~770年)の100年弱を除き、唐が滅亡するまで、支那勢力(の全部または一部)は、潜在敵であり続けたのであって、遣隋使/遣唐使は、威力偵察的なものだったのであり(コラム#省略)、唐も含め、支那諸王朝は、決して「父であり母であり師匠であった」わけではありません。(太田)

 本書の大きなねらいは、これまで幾度となく語られてきたシルクロードと唐帝国に関わる歴史を、西欧中心史観とも中華主義思想とも異なる中央ユーラシアからの視点で、わかりやすく記述することにある。
 いいかえれば、遊牧騎馬民集団とシルクロードの両者を内包する中央ユーラシア史の側からユーラシア世界史を、すなわち前近代の世界史を見直すのである。
 前近代とは近代以前と同義であるが、西洋史と我々のユーラシア世界史とでは見方が異なり、二世紀程度の時代差がある。
 西洋中心主義(ユーロ=セントリスム)<(注1)>や中華主義(シノ=セントリスム)は大きな意味で民族主義であるから、世界史認識からこれらを排することは、民族主義的な歴史の「捏造」に対して警鐘を鳴らすことでもある。・・・

 (注1)「歴史学者エンリケ・デュッセルによれば、ヨーロッパ中心主義は、ギリシア中心主義(Hellenocentrism、ヘレノセントリズム)に始まる。
 ヨーロッパ中心主義の内容としては、次のようなものがある。
 哲学の始まりをギリシャからとし、それ以外の地域の哲学は傍系のものとする。
 欧州文明を西洋として、それ以外の文明を東洋としてひとまとめにする。
 欧州の技術、科学が全時代にわたって他文明のそれに対して優位にあったと見なす(必然的にイスラーム黄金時代は過小評価されている)。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E4%B8%AD%E5%BF%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9

⇒私は、和辻やハンチントン的な文明論的な史論を展開してきたところ、森安が、その種の史論をどのように見ているのか、知りたいところです。(太田)

 日本の平和憲法は確かにアメリカの都合で作られた。
 しかしそこには人類の理想がある。
 私とてアメリカ・ロシアの軍事力や中国・朝鮮の核武装を含む軍備増強には脅威を覚えている。
 しかしだからといって防衛という名で「戦争のできる普通の国」を目指すというのでは、人類史を後ろ向きに歩むだけである。
 沖縄や広島・長崎を思い、平和憲法に共感を抱く人々を「平和ボケ」と揶揄しているのは、もはや自分が家族が徴兵制にひっかかる恐れがない地位を築いたか、軍需産業によって大きな儲けが期待できる人々である。
 防衛だろうが侵略だろうが戦争は経済行為なのであり、結局は「お金儲けのどこが悪いんですか」とうそぶく資本主義の申し子的連中が戦争をしたがるのである。
 そういう輩が口にする「国益」「国際貢献」とか「国家の品格」などという言葉ほどいかがわしいものはない。」(16~17、26~27)

⇒このくだりを読んだだけで、残りを読むのを本来は止めるべきほどの、歴史学者失格の、事実に係る典拠に全くあたっていない、恥ずかしい限りの、単なる独断と偏見の吐露、ですが、ちょっと無理をして自分を奮い立たせ、読み続けることにしましょう。(太田)

(続く)