太田述正コラム#13732(2023.9.16)
<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』を読む(その7)>(2023.12.13公開)

 「・・・シルクロード史観論争<(コラム#13632)>とは、中央ユーラシア史にとっても世界史にとってもシルクロードが極めて重要であったとする松田壽男・江上波夫をはじめとする学説をめぐって展開されたものであるが、・・・その最大の当事者は、広義の中央アジア史を「北」の遊牧民と「南」のオアシス農耕民との関係を中心に把握しようとし、シルクロードによる「東西」貿易にほとんど意義を認めようとしない間野英二<(注11)>(まのえいじ)と、それに反論する護雅夫<(注12)>(もりまさお)・長澤和俊<(注13)>(ながさわかずとし)の両人であり、その発端となったのは、1977年に出版された間野英二『中央アジアの歴史』・・・であった。・・・

 (注11)1939年~。京大文(史学)卒、同大院博士課程単位取得退学、阪大助手、ハーヴァード大留学、京大助教授、教授、同大博士(文学)、史学研究科理事長、東洋史研究会会長、京大名誉教授、龍谷大教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E9%87%8E%E8%8B%B1%E4%BA%8C
 (注12)1921~1996年。東大文(東洋史)卒、復員後同大特別研究生、北大助教授、東大助教授、トルコ等へ留学、東大博士(文学)、教授、名誉教授。史学会理事長、東方学界理事長、等を歴任。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B7%E9%9B%85%E5%A4%AB
 (注13)1928~2019年。早大第二文学部卒、同大院博士課程修了、東海大専任講師、鹿児島短大教授、早大第一文学部/第二文学部教授、早大博士(文学)、同大名誉教授、就実女子大教授。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%BE%A4%E5%92%8C%E4%BF%8A

 紀元1000年紀のシルクロード貿易を支配したのがソグド商人であり、ソグド語が国際語となったことを初めて・・・1911年<に>・・・学界で唱えたのは、不世出の東洋学者であり、中央アジア・敦煌探検でも名高いフランスのP=ペリオ<(注14)>である。・・・

 (注14)ポール・ユジェーヌ・ペリオ(Paul Eugène Pelliot。1878~1945年)。「パリに生まれ、コレージュ・ド・フランスの東洋学者シルヴァン・レヴィに学び、仏領インドシナのハノイにあるフランス極東学院に就職する。・・・22歳で極東学院の中国語教授となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%82%AA

 アム河・シル河・・・両河の中間地帯を、南の方からの視点で、・・・トランスオクシアナという。・・・
 このトランスオクシアナこそが西トルキスタンの中心であり、内部にキジルクム砂漠を擁しながら、鉄器の使用が普及した紀元前6~前5世紀頃から灌漑網が整備されて、農業を基本とする緑豊かなオアシス都市国家群が栄えた土地である。
 そしてそのトランスオクシアナの一大中心がソグディアナなのであり、場合によっては両者はほとんど同義語として使われる。
 ソグディアナは現在そのほとんどがウズベキスタン国に所属するが、東端の一部のみはタジキスタン国領になっている。
 西には、アム河下流域の肥沃なデルタ地帯であるホラズム(フワーリズム)、南にはアム河中流域の重要拠点トハリスタン(旧バクトリア)、東にはシル河上流域で名馬の産地として古来名高いフェルガーナがある。
 いずれも乾燥地帯であり、ホラズムとソグディアナがオアシス農業地帯に属するのに対し、トハリスタンとフェルガーナは農牧接壌地帯の一角を占めている。・・・
 オアシス都市国家<として>知られる<のは、>・・・まずソグディアナの中央にサマルカンド(康国)があり、その南のトハリスタンへの入り口に当たる鉄門までの道筋にキッシュ(史国、現シャフリ=ザブズ)がある。
 サマルカンドの西にはクシャーニャ(何国)があり、さらに西にあるのがソグディアナ全体の西の要衝ブハラ(安国)である。・・・
 これらの都市国家の経済基盤は農業であり、後世にはアラビア語地理書で世界の四大楽園の一つに数えられるほど豊かな土地となった。・・・
 仏教の極楽とか西方浄土、キリスト教のエデンの園など、いわゆる楽園というのは砂漠の中の緑豊かな別天地、すなわちオアシスのイメージなのであるが、まさにそういう所だったのであろう。

⇒「楽園・・・は・・・オアシスのイメージなのである」は、著者の(研究対象への入れ込み過ぎに由来する(?))思い込みに過ぎないように思われます。
 実際、楽園の邦語ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E5%9C%92_(%E5%AE%97%E6%95%99)
にも、paradiseの英語ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Paradise 
にも、はたまた、エデンの園の邦語ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%9C%92
にも、Garden of Edenの英語ウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Garden_of_Eden
にも、オアシス/oasis、という言葉は全く登場しません。(太田)

しかしながら乾燥地のオアシス農業では田畑の拡張に限界がある。
 それゆえ人口が過剰になってくると、他の都市や他地域との交易に従事する商業に活路を見出す者が増えてくるのは自然のなりゆきである。
 そして他地域の商業中心地にまで仲間を送り込んで定着させるようになると、各地にソグド人コロニー(植民地・植民聚落・居留地)が出現する。」(78、93、96~99)

(続く)