太田述正コラム#13740(2023.9.20)
<森安孝夫『シルクロードと唐帝国』を読む(その11)>(2023.12.17公開)

「・・・東方に発展したソグド商人たちの足跡が、・・・後漢~三国魏の時代にまで遡ることは、先学が漢籍中より見つけ出した零細ながら雄弁ないくつもの史料から疑いない。・・・
 ソグド=ネットワークは商業ネットワークとしてだけでなく、外交ルートとしても活用された。
 6世紀前半、酒泉(粛州)にあった安氏集団に属した2人の人物の事績を紹介しよう。・・・
 安吐根<(注22)>(あんどこん)・・・<と>酒泉胡(しゅせんこ)と呼ばれた安諾槃陀<(注23)>(あんだくばんだ)だ。>・・・

 (注22)?~577年。安息国人で北斉の大臣。「北魏末年,安吐根出使至柔然,被留在塞北。東魏孝靜帝天平初年,柔然派安吐根至晉陽,於是秘密匯報柔然情況,高歡獲悉後得以準備。高歡和柔然和親,安吐根多次為使者入東魏」
https://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%AE%89%E5%90%90%E6%A0%B9
 「その曾祖父が北魏に来たのは四五〇年以前、おそらく北魏が北涼を滅ぼしたとき(四三九年)か、あるいは北魏が董碗らの使節を西域に派遣して来貢を促してからのことであろう。いずれにしても五世紀末には河西回廊、そして北朝の宮廷にまでソグド入が入り込んでいたことがわかる。」
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjpstuO1NmAAxUGmFYBHV3cChMQFnoECAsQAQ&url=https%3A%2F%2Fsoka.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_action_common_download%26item_id%3D36602%26item_no%3D1%26attribute_id%3D15%26file_no%3D1&usg=AOvVaw0HdIu2WtdAC0f-OfR4Jn_z&opi=89978449
 (注23)「突廠がはじめて歴史上に登場するのはそれから約半世紀のち、西魏の大統十一年、西暦五四五年のことであった。突厭初代の可汗となる土門が絹馬交易を望んで長城線に現れたのである。これに対し西魏の実権者宇文泰(のちに北周となってから太祖と追詮される)が突廠に派遣したのは、酒泉の胡人、安諾槃陀であった。・・・
 この人物はその姓からみて安国(ブハラ)出身のソグド人であることはまちがいがない。つまり突蕨が最初に接触したソグド人は、甘粛方面に来て<支那>の宮廷にも入り込んでいたソグド人だったのである。そしてこれ以後ソグド人は突廠国家の中に深く入り込み、政治・経済・文化の様々な面で突廠に大きな影響を与えていくことになるのである。」(上掲)

 唐代の7世紀末に復興する突厥第二帝国の公用語は自分たち固有の突厥語(古トルコ語の一種)であったのに対し、第一帝国の公用語が外来のソグド語であった<。>・・・
中央ユーラシアの遊牧民に史上初めて文字文化をもたらしたのは、スキタイにおけるペルシア人やギリシア人でも匈奴における漢人でもなく、突厥におけるソグド人だったわけであるが、突厥以前にモンゴリアを押さえた柔然においても、南の中国に拠る拓跋国家や青梅の吐谷渾といった鮮卑系諸王朝や、西域諸国との交渉においては、ソグド人が重きをなし、ソグド語が国際語であったと断定することができるのである。・・・
 我々には、河西回廊~寧夏のみならずオルドス・・・~山西北部の農牧接壌地帯に、さらには天山地方~モンゴリアの草原地帯に進出したソグド人たちは、大量の馬を保持することによって、馬を商品とし、馬とラクダ<(注23)>の機動力に頼る東西交易に従事する一方、騎馬を中心とする軍事力を兼ね備える武装集団となった、と演繹することが許されるであろう。

 (注23)「ヒトコブラクダ<は、>・・・北アフリカと西アジア、“アフリカの角”地域、スーダン、エチオピアおよびソマリアに分布するが、すでにそれらの原生地において野生個体群は消滅している。・・・本種は紀元前2000年ごろに、エジプトと北アフリカに導入された<が、>・・・前900年ごろ以降、サハラから再び姿を消し<、>・・・アケメネス朝ペルシアがエジプトに侵入したときに、家畜化されたラクダがこの地域に導入された。・・・
 本種はフタコブラクダより背が高く、最高時速65kmで走り時速40km の速度を一時間維持できるなど走力はフタコブラクダを上回る。騎手を乗せたヒトコブラクダは時速13-14.5km の速度を、数時間にわたり持続することができる。これに対して、荷を積んだフタコブラクダは時速4km 程度の速さで移動する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%80
 「フタコブラクダ<は、>・・・野生個体は中華人民共和国北西部とモンゴルに分布する。家畜化された個体(推定約140万頭)はより広い地域に分布している。・・・
 ヒトコブラクダと比べると体は頑丈で四肢が短い。野生個体より家畜化された個体の方が大型になる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%80

⇒シルクロード交易が盛んであったとして、どうして、移動・輸送手段であるラクダの2種が、全域にわたって見られないのかが気になります。
 (両種の交雑ができなさそうであることも・・。)
 やはり、単一の隊商が、長距離を移動することはなかったのでしょうね。(太田)

 そして彼らは自らの組織するキャラヴァンを護衛するだけでなく、自らが将来性を見込んだ相手に対しては、たとえそれがトルコ系遊牧集団であろうが漢人軍閥であろうが、積極的に軍事力を提供しつつ、ともに発展しようとしたのである。」(115、123、128、132~133、143)

(続く)