太田述正コラム#2786(2008.9.12)
<マケインの逆襲(その2)>(2008.11.2公開)
(脚注)
「豚に口紅をつけたって豚に変わりはない」という表現はそんなに古いものではない。
16世紀中期まで遡れる同趣旨の表現が「雌豚(sow)の耳から絹の財布はつくれない」だ。1732年には英国の医師トマス・フラー(Thomas Fuller)によって、「甲冑を着せても豚(hog)は豚だ」という表現が収録されており、後にフランシス・グロース(Francis Grose)は1796年に出版された 辞書’A Classical Dictionary of the Vulgar Tongue’の中で、甲冑を着た豚とは、着飾っているけれど不格好ないしありきたりにしか見えない男または女をあてこするものであると記している。チャールス・H・スパージョン(Charles H. Spurgeon)は、このバリエーションだが、1887年に出版された箴言集’The Salt-Cellars’の中で、「チョッキを着ても豚(hog)は豚だ」という表現をとりあげ、これは「装ったとて(Circumstances)人の本性どころか、行儀作法すら変えることはできない」の意味であると記している。
口紅バリエーションの出現は、口紅そのもの出現が1880年代なのだから、それより以前に遡ることはありえない。
1926年に練達の編集者たるチャールス・F・ルンミス(Charles F. Lummis)はロサンゼルスタイムスに「われわれの大部分の歴史知識は、豚(pig)が口紅について持っている知識と同じ程度の代物だ」と記した。しかし、「豚(pigまたはhog)に口紅をつける」というそのものズバリの表現は、サンフランシスコ・ジャイアンツ球団のために下町に新しい野球場をつくる代わりにキャンドルスティック球場を修繕して使うのなんて「豚に口紅をつけるようなものだ」と語ったラジオ番組のホストの言をワシントンポストが引用した1985年に初めて出現した。
http://www.slate.com/id/2199805/
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4 リベラル系有力紙の悲愴な論陣
かねてから共和党批判の論陣を張ってきた米英のリベラル系有力紙は、米大統領選の意外な成り行きに危機感を募らせ、悲愴な論陣を張っています。
「大統領選はこれからだ(Too Early To Call It)<だから慌てふためくな>
・・・われわれは米国の人々が新大統領の選択を極めて重要視していることを知っている。とりわけ今回の大統領選は、米国が戦時にあってしかもその経済の状況は真に憂慮すべきものがあるのだからなおさらだ。」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/09/10/AR2008091002725_pf.html
「この国が直面している諸問題の深刻さと、少なくともこれまで行われてきた政治的論議の些末さとの間の亀裂がかくも大きい大統領選はおよそ考えられない。米議会予算局が巨大化しつつある財政赤字と暗鬱な経済予測という警告を発したまさにその日に、そして政府がファニーマエとフレディーマックを救済したというのに株価が更に下落したその時に、そしてブッシュ大統領がイラクとアフガニスタンの行く手に待ち構えている暗雲について議論を行ったその時に、ジョン・マケイン上院議員は選挙運動で一体何にエネルギーを費やしたのか? バラク・オバマ上院議員が「豚がつけた口紅」という表現を用いたことをやっつける記者会見の開催と、民主党が幼稚園児達に対し、文字を教える以前に性教育をしようとしていることを非難する新しいテレビ・コマーシャルの導入だ。」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/09/10/AR2008091003116_pf.html
以上はワシントンポストが掲げた論説ですが、ニューヨークタイムスは、まるで全体が詩的檄文のような論説
http://www.nytimes.com/2008/09/11/opinion/11Cohen.html?_r=1&oref=slogin&ref=opinion&pagewanted=print
を掲げるとともに、「共和党が、フツーの米国民はアホであると見ていることは極めて明白だ。彼らは・・・経済と外交政策についての競い合いを、フツーの人々対エリートという図式にすり替えてしまった。これは、共和党の租税政策が今までの歴史にはないほど「大衆」から乖離したエリートを創り出すことに貢献したという事実から目を逸らせることを意図した煙と鏡のショーなのだ」というコラム
http://warner.blogs.nytimes.com/2008/09/04/the-mirrored-ceiling/index.html?ref=opinion
を掲げ、更に、ペイリン副大統領候補について、共和党は、共同記者会見すら開こうとせず、彼女の真の姿を隠蔽したままイメージ戦略にあけくれている、と共和党を非難するコラムを掲げました。
http://www.nytimes.com/2008/09/11/opinion/11thu2.html?ref=opinion&pagewanted=print
海の向こうの英ガーディアンに至っては、米国民を脅迫するかのようなコラムを掲げました。
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/2008/sep/10/uselections2008.barackobama
前掲
「仮に自由世界がその指導者を選ぶとすれば、それはバラク・オバマになることだろう。
従って、仮に米国民がマケインを選ぶならば、彼らは米国以外の全世界に背を向けることになろう。
今までは、反米主義は誇張されてきたし誤解されてきた。というのは、左翼の中核部分を除けば、それは反ブッシュ主義であって、この特定の政権への反対にほかならなかったと言っても過言ではないからだ。しかし、仮にマケインが11月に勝利するならば、この状況が変わるかもしれない。その時欧州の人々や他の地域の人々は、彼らの反感は一つの統治グループに対するものではなく、米国民そのものに対してのものであるという結論に達することだろう。なぜなら、それは政治屋達ではなく米国民こそが、一世代に一度きりの再出発・・世界中が待ち望んでいるところの再出発・・を行う機会を無にしたということを意味するからだ。
そして米国民がなぜこのような結論を下したかも問題となる。仮にそれが人種によるもの、すなわちオバマがその肌の色のゆえに拒絶された、とみなされるようなことがあれば、世界による評決は厳しいものとなろう。このような状況下においては、スレート誌のジェイコブ・ワイスバーグ(Jacob Weisberg)が最近書いたように、国際世論は「米国はその機会を与えられたにもかかわらず、ついにその気違いじみた人種に関する非合理的感情を自分自身の利益を勘案して超克する、ということができなかった」という結論を下すことだろう」と。
(完)
マケインの逆襲(その2)
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