太田述正コラム#13760(2023.9.30)
<2023.9.30東京オフ会次第>(2023.12.27公開)
1 始めに
本日の出席者は、私を除き、6名で、うち1名はリモート出席だった。
秋田県から駆けつけてくれた出席者がいた。
2 オフ会次第(Oは私)
O:今回の「講演」原稿を手掛けた際、脇道に入り、仏教について、やっつけ仕事的だったが、頭の中の整理をしたわけだが、自分が最近記憶が飛ぶことが何度かあって、ボケ始めたとの自覚があったため、遅々として作業が捗らないことに、ボケが相当進行しているのではないか、と、心配でならなかった。
A:今回の「講演」原稿、就中、仏教、の部分に関して言えば、そんなご心配は全く無用だ。
釈迦の太田評は衝撃的だったが、言わんとしていることが大変良く分かった。
O:そいつは心強い。私の仏教に関する作業が捗らなかったのは、全て、実質的な中身が殆どないことまで饒舌に延々と語る、インド人仏教関係者のせいだった、ということにしておこうか。
ところで、いつもにも増して、次回のオフ会「講演」原稿のネタが見つかりそうもなく、頭を抱えている。
現在の日本の経済や中共の経済について、どう見るべきか、腑に落ちる説明をしてくれる内外の経済専門家が見当たらないので、自分自身で手掛けたいところではあるが、いかんせん、経済の分野は、私には重荷だ。
B:日本におけるキリスト教史はどうか。
戦後、日本の知識人キリスト教徒が急速に絶滅に近い状況になったことの説明も含め・・。
O:ウーン。
A:人間主義の将来、というネタはどうだろうか?
私は、人間主義模範国たる日本の日本人の人間主義性が急速に失われつつあると思っている。
となると、厩戸皇子、島津斉彬、杉山元、ら、が目指したものの最終終着点、全ての人間の人間主義者化は、達成されないまま終るのではなかろうか。
O:仮に日本人が非人間主義者化するようなことがあったとしても、中共の人民が人間主義者化しつつあるとすれば、人口の違いからして、日本のことなど忘れてもよいのかも。
それに加えて、(人口世界一になったインドの)インド人まで人間主義者化していく可能性があるとすれば、なおさらだ。
B:インド人については、そうなるとは到底思えない。
O:しかし、インドがかなりの高度経済成長を始めてそれが継続している、ということは、インド人の極端な個人主義が緩和して、人間主義的とも言えるところの、互いに協力する姿勢が生じてきているのではないだろうか。
また、それには、最近はディスられてばかりの英国によるインド亜大陸統治だが、金儲けのためだったとはいえ、その統治は、その他の地域、とりわけ、アフリカの英領植民地の統治に比べれば、遥かにまともな統治だったのであり、この統治を通じて、日本人の人間主義に比べれば遜色あれど、英国人、とりわけ、イギリス人、の人間主義が、若干なりともインド亜大陸人を感化した効果が、独立後、かなりの時間が経ってからようやく出てきたのではあるまいか。
また、感化される素地が、そもそも、ドラヴィダ系人のような、かつて人間主義者的であったことがある人々を中心として、インド亜大陸人にはあったと見たらどうか、とも。
このような観点から、未来論を展開する、ということなら、やってみる意義はありそうだ。
しかし、残念ながら、次回のネタとしては、時間が切迫しているのでむつかしい。
やはり、丸山眞男論の再開あたりか。
A:今まで、太田さんは何度か丸山眞男論を書いており、再開したとて、太田さんの結論が自分には見えているような気がする。
C:未来論に取り組み始めたとして、太田さんの未来が終わる・・亡くなる・・までに成果があがるといいのだが・・。
D:太田さんはどんな最期を予期しているのか。
O:突然死しない限りは、介護された死だろう。
D:葬儀はどんなものを考えているのか。
O:死んだ後の自分のことになど、墓などのことも含め、全く関心はない。