太田述正コラム#13762(2023.10.1)
<2023.9.30東京オフ会次第(続)>(2023.12.28公開)
B:次回のテーマについてだが、太田さんの過去を振り返るというのはどうだろうか。
例えば、カイロ時代、とか、スタンフォード時代、を取り上げたら?
O:今までの諸「講演」の総集編をやるという手もありそうだ。
なお、丸山眞男を持ち出したのは、彼自身の「躓き」を剔抉することもさることながら、和辻哲郎でやったように、横道を発見し、そこに立ち入って新しい発見が行なわれる、ということが起こることを期待している方が大きいのだが・・。
A:「講演」原稿の「著者の論理からすれば、「伝統的で保守的な」⇒「修正主義的で機会主義的な」、「現実的で進歩的な」⇒「釈迦に忠実で普遍性がある」、では?
著者が、(恐らく)無意識に書き間違えてしまっているココロは、釈迦自身が戒律に厳しかったからでは、と、いう気がする。
考えてもみよ、「目覚める」ための核心的方法は、自分自身が「目覚める」ために行ったところの、世俗生活から離れ、厳しい規律を自らに課した日々を送ることだ、と、釈迦が考えなかった方がむしろおかしいだろう。(太田)」という箇所が理解できなかったのだが。
O:改めて考えてみよう。
(著者とは植木雅俊のことであるところ、彼の釈迦観は、「本来の仏教の目指した最低限のことは、一、徹底して平等の思想を説いた。二、迷信やドグマを徹底的に否定した。三、絶対神に対する約束事としての西洋的倫理観と異なり、人間対人間という現実において倫理を説いた。四、「自帰依」「法帰依」として自己と法に基づくことを強調した。五、釈尊自身が「私は人間である」と語っていたように、仏教は決して人間からかけ離れることのない人間<(にんげん)>主義であった――などの視点である。」、であり、彼の上座部(小乗)仏教観は、「植木雅俊は、小乗は出家至上主義とする」(「」内は、いずれも「原稿」の少し前のところ出てくる)というものだ。
また、植木は、「『維摩経』は、『般若経』に続き、『法華経』よりやや先行して著わされた代表的な初期大乗仏典の一つである。『維摩経』は『般若経』と同様、「空」の思想を説くものだが、『般若経』に呪術的なことが多く説かれているのに対して、『維摩経』には呪術性は全くない。・・・在家主義、男女平等といった思想が、極めて戯曲的な手法で展開されてい<る。>」とも言っている(同上)。
つまり、植木は、呪術性はともかくとして、その、人々の相互依存性(縁起/空)の指摘、在家主義、男女平等、において、大乗仏教は、上座部仏教に優る、と、考えているわけだ。
また、大衆部の一部が、後に大乗仏教に発展したところだ。
だから、私は、植木の論理からすれば、上座部は「修正主義的で機会主義的」であって、大衆部はこの上座部に比して相対的に「釈迦に忠実で普遍性がある」、と、彼は考えていたのではないか、と想像したのだ。
では、そんな彼が、どうして、上座部は「伝統的で保守的」、大衆部は「現実的で進歩的」とこのくだりで書いてしまったのか?
釈迦は出家主義者・・植木の言葉を使えば、出家至上主義者、で、かつ、それが釈迦にとっては解脱の核心的方法、だったからだ。
この出家至上主義に関してだけは、釈迦を起点として、上座部は「伝統的で保守的」、大衆部は「現実的で進歩的」、だったところ、出家至上主義の釈迦にとっての枢要性が植木にも分かっていたので、その意識に引き摺られて、「伝統的で保守的」で上座部そのものを括り、「現実的で進歩的」で大衆部そのものを括ってしまった、というわけだ。
ことほどさように、出家至上主義は、クシャトリア・・武力行使による人の殺傷がある意味で生業・・の存在根拠が失われてしまうことを回避するためのもの、ひいては(平等思想に完璧なまでに背馳するところの)ヴァルナ制を維持するためのものであって、私の言うところの、釈迦の、ローカル性の象徴であり、恥部、なのだ。)