太田述正コラム#13764(2023.10.2)
<2023.9.30東京オフ会次第(続々)>(2023.12.29公開)
A:なんで、今回の「講演」原稿の中に[鄧小平以降の中共の対日戦略]が出てきたのだ?
C:「また、東北工程・・・「史観」に基づき、・・・」ってくだりが、その前に本文中にあるからだろう。
O:私の「講演」原稿の囲み記事って、常にそういうものなので、ご理解のほどを。
E:今回、出席したのは、自分が、かつて、上座部仏教に関心を持ち、信徒になろうかと考え、仏教発祥の地であるインドに行ったりしたことがあるからだ。
でも、インドの無茶苦茶さにがっかりし、また、東南アジアの上座部仏教国であるタイもミャンマーも政治がうまくいっておらず、そういったことに対して仏教界が何もしていないことにも不信感を抱き、結局、信徒にはならなかった。
O:上座部仏教は日本でもあるのか。
E:ある。
(「現在はタイ、ミャンマー、スリランカ出身の僧侶を中心とした複数の寺院や団体を通じて布教伝道活動がなされているほか、戒壇が作られたこともあって日本人出家者(比丘)も誕生している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%BA%A7%E9%83%A8%E4%BB%8F%E6%95%99
日本上座仏教修道会
https://jyouzabukkyo.jp/about/ )
B:どうして、インダス文明下で人間主義社会が続いたのか。
O:前に述べたことがあると思うが、四囲に外敵がいなかったからだ。
三方は砂漠で、砂漠を越えて侵攻してくる遊牧民はまだいなかったし、東方には、文明の程度は低いが、同じく人間主義者だったと想像されるドラヴィダ人が住んでいた。
日本の場合は、海に囲まれていたのが幸いしたわけだ。
D:欧米以外の地域で、南米はさておき、インドより西は、中東の産油国以外は経済成長も人間主義化も余り望めなさそうだな。
C:アフリカ中部には、そういったことが望めそうな国々がある。
O:小さい国ばかりだろう。
C:中東の産油国だが、今や、金融で食っている。
O:中東のサウディとかカタール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%AB
とかは、独裁制で、人口も少なく、(移民や出稼ぎ労働者達を含む)被治者達よりも遥かに優秀な支配者一族が一手に切り盛りしているのでうまくいっているのだろう。
金融なんかは、優秀な欧米人にマネージさせているし・・。
D:二度の原爆投下(8月6日、9日)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE%E6%8A%95%E4%B8%8B
と、ソ連の対日参戦(8月8日)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%8F%82%E6%88%A6
の、どちらが日本の終戦時期決定に最大の影響を及ぼしたのだろうか。
O:今まで言ってきたことを若干敷衍して繰り返すが、ソ連の対日参戦は対米英戦開始当時から杉山元らは予見していたところ、わざわざ第一総軍管轄外に置いたところの、北海道及びそれより北の日本領をソ連が席捲してから終戦に持ち込むつもりであったところ、原爆投下で、ソ連軍が北海道に上陸する前に終戦にしたのは、予定よりも繰り上げたものであり、原爆投下が最大の影響を及ぼしたと言えよう。
二度の原爆投下の後始末に奔走させられることになったところの、第二総軍司令官の畑俊六、が、第一総軍司令官でありかつ事実上の帝国陸軍最高指導者たる杉山元に対して、広島と長崎の後始末で第二総軍は手一杯だし、更に続いて原爆が投下される可能性だってあることから、もはや戦争継続は不可能、と伝え、杉山の方は杉山の方で、そもそも、米国が(参戦時期を知らされていたところの)ソ連の対日参戦とほぼ同じ時期に原爆投下を始めたのは、ソ連を牽制する意味合いもあったに違いない、と、受け止めていて、それならば、北海道までソ連にくれてやることで、日本本土内で米ソを対峙させて、米国の反ソ意識を喚起させる必要はなくなったと考えるに至っていたと思われ、この畑の申し出をすぐ飲んだのだろう。