太田述正コラム#2889(2008.11.3)
<皆さんとディスカッション(続x295)>
<bbkz>
≫典拠についてですが、小さい時、一応芸術家(ピアニスト)を目指したことがある私の体験に基づく議論をさせていただいている、とご認識ください。≪(コラム#2888。太田)
・典拠
(文献上の)確かな根拠。よりどころ。
(大辞林 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C5%B5%B5%F2&kind=jn&mode=0&kwassist=0より)
 それはどう見ても典拠になりません。
 体験をもとにご自身の見解を述べるのは構いませんが、何かしっかりとした根拠を示してください、ということなのですが。
 繰り返し申し上げますが、一般的な用法では「政治」は「芸術」に含まれることはありません。
 それでも「政治」は「芸術」に属すると仰るのならば、太田さんにとっての「芸術」とは、一般人にとっての「芸術」とは異なる概念だということになるでしょうね。
≫言うまでもなく、政治家は政治業者のうちの例外的な芸術家的存在なのであって、≪(同上)
 「真理や有用性は別として」という部分を忘れていませんか?
 つまり、優れた政治家になるほど有用性には拘らない(=統治者としては優れているとは言えない)というわけになりそうですが、ビスマルクはそうした皮肉を込めていたのでしょうか?
 また、「芸術家的な存在」ということについて、政治家はどのような視点から音楽や美術など、その他の芸術と同じような感動を引き起こすことができるのでしょうか?
<太田>
 もちろん体験は典拠たりえます。(私の一連の「告発」は、基本的に「日記=体験の記録」に拠ってなされています。)
 ただ、「芸術」については、私以外にも無数の人々の体験があり、それらの体験に基づき、様々な「芸術」論が展開されているので、その中で権威がありそうなもの「に拠る」、いや、少なくとも「にも拠る」方が望ましいに決まっています。
 幸い、あなたご自身がいくつか「権威」ありげな典拠を紹介されているので、私が自分で「権威」ある典拠を探す労を省かせていただいている、ということです。あしからず。
 なお、前回私が書いたことは、私の意見と言うより、「ビスマルクが言おうとしたこと」について、あなたが紹介された典拠を踏まえて私が想像を膨らませたものである、とご理解ください。
 本日のこの後の文章についても同様です。
 さて私は、政治に係るvisionにせよillusionにせよ、それらの評価尺度は「もっともらしさ」であり、それらは、「真理や有用性」とは本来無縁であると考えたいと思います。
 そしてビスマルクが、政治は「可能性の(=政治に係るvisionの実現を図る)」芸術、と言っていることを踏まえれば、政治家が掲げるものがvisionであるかillusionであるかは、それが結果として実現したかどうかで歴史的に判定が下される、と考えたらいかがでしょうか。
 その場合、さしずめ、ビスマルクの唱えた「小ドイツ主義(Kleindeutsche Losung)」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%B8%BB%E7%BE%A9
。11月3日アクセス)は実現し、ヒットラーの唱えた「<ドイツ>生存圏」(コラム#432、1894、2790)は実現しなかったので、前者はvision、後者はillusionであった、ということになろうかと思います。
 ちなみに、「改革」を唱えた小泉元首相は、日本ではめずらしく、政治家の名に値する政治業者だったと思いますが、彼の「改革」はillusionであったと後世の歴史家が結論を下す可能性が大でしょうね。
 ちょっと想像を膨らませすぎたかもしれません。
 とまれ、楽しい対話をさせていただきました。
<白金幸紀>(2008.10.24。http://209.85.175.104/search?q=cache:InYt8wb30nMJ:8704.teacup.com/yuuki_sirogane/bbs+%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%BF%B0%E6%AD%A3&hl=ja&ct=clnk&cd=271&gl=jp
 ・・・官僚に任せると、どうなるか。これを内側から暴露したのが太田述正氏です。
 当面は、官僚統治が続くとこうなる、という事例をどんどん日本語言論の前面に出していく作業の時期が続きます。
 新しい世代が、大挙して、これはおかしい、と思い始めたら、しめたものです。
 そうなれば、富士山が動きます。(富士山=官僚統治構造)。
・・・
 太田氏のディスカスに戻って、新著の紹介を佐高信氏が書いているとのことです。
 佐高氏の言葉を見ると、いまどき、何を寝言を、という感じです。
 しかし、太田述正氏の防衛庁の内幕暴露本がそんなふうにして世に出るというところが、今の日本社会の様子を伝えています。
 私のイメージでは、日経や朝日、毎日、読売の一面のトップに、ドーンと紹介が出ても不思議ではない太田氏の著書です。東京新聞や産経あたりは、そうするのか。
 いや、それだけ日本を変えます。・・・
<植田信>(2008.11.3。http://8706.teacup.com/uedam/bbs
 日本国の安全保障問題。
 そろそろと核心に入っていくことができる時期になりました。
 外堀、中堀が埋められました。
 外堀は、核兵器問題。
 中堀は、アメリカが強要するから。(東京裁判の判決もアメリカ要因の一つです。)
 いや、どちらが外堀であり、中堀でもいいですが、こういう問題は、さほど重要ではないことがわかってきました。
 福岡国際問題研究所さんがいう「太田テーゼ」です。
 こうです、
 「問題は、アメリカが日本の危機の時には核の使用をすると言っていることが信用できるかどうかだ。
 このように考えてくると、核保有に「正しい答え」は無さそうだ。私が「核保有論」をはっきり語らないのは、日本が「独立」さえしていないので、そんなこ とを考えるのは時期尚早だからだ。「独立」した後、国民全員で議論し、核保有をするかしないか決めればいい。先に国民の大勢が「独立」したいという意志を 持たないといけない。」
 その通り。
 対米従属も、官僚主権問題も、一つのものです。
 戦後の日本人が、それを選択している、ということです。
 なぜそうなのか。
 戦後の日本人は、なぜわざわざ自分を相手に従属する立場に置いて、良し、とするのか。
 答えは、日本史の中にありました。
 人口構成の9割の日本人には、自治能力がない、と。
 それゆえに、ペリーの来航を受けて、日本国をモダンにしようと動いたのは、1割の武士身分でした。
 実質的には、さらにその中の薩長であり、土佐、備前です。・・・
<太田>
 11月1日のオフ会は、予定された1次会、2次会に加えて、有料読者限定で喫茶店(日本橋のスターバックス)で3次会を行い、2210頃、解散しました。
 幹事のSMさん、副幹事のKTさん、ありがとうございました。
 皆さんの寄せ書きをご披露しておきます。
 「アメリカから独立しましょう!!」
 「今後とも末永くおつきあいよろしく!!」
 「一日も早い政権交替!」
 「日本独立!」
 「オフ会というものに初めて参加しましたが、暖かい雰囲気が良いですね。メールだけでなくこのような会を定期的に持てるといいですね。ありがとうございました。」
 「楽しいオフ会でした! またやりましょう!」
 「太田コラムは材料(material)の宝庫 (※material←(mother)すべてを生み出すもの)」
 「新しい日英同盟を!」
 「今日はお疲れ様でした。」
 「太田さんのコラムを読み続けてこれからも「勉強」していきます。」
 「太田さん、時々置かれた状況をコラムで書かれていますが、どうぞ、健康には十分に留意して下さい。」
 「自由と愛を大切に。」
 「自由と豊かさの国を作りましょう。」
 「いつか太田さんの言論を毎日、TV、新聞などで見れる日が来ることを祈ってます。がんばってください。私も微力ながら力になれるようがんばります。」
 話は全く変わりますが、1700~1800前のMXチャンネル(東京都のTV局)の番組で、同番組に常任コメンテーターとして出演している神林広恵さんが、本日のこの番組の最後に、「私のちょっと関わった本です」と『実名告発 防衛省』の現物の表紙を示しながら、宣伝してくれました。
 実は彼女は、この本のライターをしてくれた人です。
 神林さん、昔、雑誌「噂の真相」の編集者をやっていたんですね。全然知りませんでした。
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太田述正コラム#2890(2008.11.3)
<米国民の知的劣化(その1)>
→非公開