太田述正コラム#2798(2008.9.18)
<性科学の最新状況(続)>(2008.11.4公開)
1 始めに
 コラム#2673で「愛とは、番う相手探しを、暫定的にせよ打ち切り、番うことそのものに専念させるために起きる感情にほかならない」という説が最近有力だと申し上げたところです。
 ただしこれは、コラム#2745でご紹介したフロムの主張であるところの、「「恋」(特定の異性とセックス、すなわち生殖行為をしたいという感情)と「愛」は峻別して論じるべきである」を踏まえれば、「恋とは、番う相手探しを、暫定的にせよ打ち切り・・」と読み替えなければなりますまい。
 その上で、「愛」を、特定の異性と長期にわたって互いに協力しつつ(子育てを含め)生活を共にしていきたい気持ち、と定義することにしましょう。
 フロムは、「愛は技術<であって>学ばなければならない・・・どうすれば人を愛せるようになるかを学びたければ、他の技術、たとえば音楽、医学、工学などの技術を学ぶときと同じ道をたどらなければならない。」とも主張しているわけですが、このたび、愛する能力の有無は遺伝子的に決まっている可能性が高い、とする研究成果が出ました。
 この研究成果を紹介するニューヨークタイムスの記事(
http://judson.blogs.nytimes.com/2008/09/16/a-commitment-pill/index.html?ref=opinion
。9月18日アクセス)のあらましをご紹介しましょう。
2 記事のあらまし
 このたび、スウェーデンの研究者夫妻が、哺乳類の雄に、番を維持すること(=単婚=一夫一婦制)を容易にする遺伝子が存在する、との研究成果を明らかにした。
 哺乳類の雄と雌とが長期にわたって番(つがい)を維持する・・性的に互いに忠実な関係を維持しつつ、ともに子供達を育てる・・ということは希であることが知られています。
 すなわち、哺乳類の番がこのような関係の近似的な関係を長期にわたって維持するケースを含めたとしても、その割合は5%にも達しません。
 近似的な関係とは、社会的単婚のことであり、性的に互いに忠実な関係抜きの単婚を指します。
 社会的単婚の哺乳類としては人類のいくばくかのほか、プレイリー・ハタネズミ(prairie vole)等があげられます。
 いずれにせよ、哺乳類において単婚がかくも希であるということは、単婚が必ずしも(授乳等に始まる)子供の養育に適合的でないものであることを示唆しています。
 さて、アルギニン・ヴァソプレッシン(Arginine vasopressin)というホルモンが知られています。
 このホルモンは雌よりも雄にとってより重要であり、多くの哺乳類の雄の攻撃的ポーズ、臭いによる領域のマーキング、求婚とセックスを仲介しています。
 ヴァソプレッシン受容器は、大脳内に存在する分子群であって、ヴァソプレッシンだけに反応します。つまり、この受容器は、このホルモンの効果に影響を及ぼすのです。
 プレイリー・ハタネズミは、しばしば生涯にわたって番を維持し、雄も雌も子供の面倒を見ます。
 夥しいセックス・・ヴァスプレッシンを分泌させる・・を伴うプロセスを経て番が形成されると、プレイリー・ハタネズミの雄は雌とくっつきあい、世話をしあうという時間を多く過ごすようになります。
 このたび、次のことが分かりました。
 プレイリー・ハタネズミのある遺伝子を大脳の腹部(=ventral)pallidum と呼ばれる部位に注入すると、ヴァソプレッシン受容器の密度が増えるということが。
 すなわち、メドウ(meadow)ハタネズミは本来単婚ではないのですが、その雄を、結果的にこの雄と番うこととなったところの、初対面の雌と24時間過ごさせた後、この雌に加えて、それまで何度も番った雌と一緒にしたところ、上述の遺伝子を注入されていたメドウ・ハタネズミは、それまで何度も番った方と一緒の時間を過ごすようになったというのです。
 注入されていなかった雄はそんな行動はとりませんでした。
 (これは、雄についての研究であって雌についての研究はこれからの課題です。)
 
 もとより、この遺伝子だけで雄の雌に対する愛を説明できるとは限りません。
 他の遺伝子だって愛の形成に影響を及ぼしているかもしれませんし、環境要因、とりわけ子供時代の環境要因が影響を及ぼしている可能性もあります。
 しかし、人間の男性に対して働くところの、EDの治療薬ならぬ、愛の形成薬ができて、誰しもが女性と長期にわたる愛情ある関係を維持することができるような時代が将来やってくるかもしれません。
3 終わりに
 仮に人間の男性には上述の遺伝子が備わっていないとすると、彼らが愛を形成して単婚を維持するためには、全員がフロムの主張通り愛の技術を習得する必要があるけれど、将来は、愛の形成薬の助けを借りることによって、愛の技術の習得なしに全員が愛を形成できるようになるかもしれないし、仮に人間の男性には上述の遺伝子が備わっている人と備わっていない人がいる、あるいは上述の遺伝子の働きが十分な人と不十分な人がいるとすると、現在は、愛の技術の習得が必要な男性と不要な男性が存在するけれど、将来は遺伝子が備わっていない男性も遺伝子の働きが不十分な男性も、愛の形成薬の助けを借りることによって、愛の技術の習得なしに愛を形成できるようになるかもしれない、ということになります。
 IQの高さについて、nature(生まれつき)かnurture(養育)のせいかかの論争がありますが、近い将来、愛についても同様の大論争が起きそうですね。