太田述正コラム#13816(2023.10.28)
<渡邊義浩『漢帝国–400年の興亡』を読む(その24)>(2024.2.23公開)

 「・・・『礼記』王制篇によれば、祖先を祭る宗廟は、身分による差等があり、天子は七廟、諸侯は五廟、大夫は三廟、士は一廟で、庶は廟を持たない、と定められていた。・・・
 遠い祖先は、「親」が尽きるので宗廟には祭らないが、七代より遠くとも建国者である劉邦のような重要な祖先は祭る。
 これを不毀廟(ふきびょう)[いつまでも祭り続ける廟]と呼ぶ。・・・
前漢元帝<(注70)>の初元元(前48)年、翼奉<(注71)>の上奏より始まる儒教経義に基づく中国の古典的国制への提言は、主として王莽期に定まり、後漢章帝の・・・79<年>、白虎観会議で儒教経義により正統化される。

 (注70)BC74~BC33年。皇帝:BC48~BC33年。「現実的な法家主義者だった宣帝と異なり、儒教を重視した政策を実施した。皇太子時代の学師であった蕭望之ら儒者を登用したが、前46年に宣帝の代から側近として重用されていた宦官である弘恭、石顕と対立し失脚した。以後、元帝の治世は宦官により専断されることとなった。・・・
 厳しい刑法を改正するなどの政策を採用し、民衆の生活の安定を図ろうと試みた。
 また、財政の健全化を図って税を軽減した他、大規模な宴会を禁止、狩猟用の別荘や御料地の経費を抑え、宗廟など祭祀にかかる経費を削減した一方、儒教に傾倒するあまりに現実離れした理想論に基づく政策も実施され、専売制を廃止したために財政を悪化させて国政を混乱させ、財政問題を根本的に解決するに至らなかった。
 そのため宣帝により中興された国勢は再び衰え、元帝の皇后王氏一族から出た王莽の簒奪の要因を作り出した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%B8%9D_(%E6%BC%A2) 
 (注71)よくほう(?~?年)。「翼奉は・・・外戚が朝廷に多いことで陰の気が盛んになっていることを批判し、また各宮殿等の女官の数が多すぎるので減らすべきことを提案し、次の災いとして火災があることを予言した。
 翌年、武帝の園内で火災があった。元帝が翼奉より再度話を聞くと、翼奉は雲陽・汾陰での天地の祭祀、および天子の宗廟の数を定めずに祀っていることが古の制度に適わない上に費用がかかることを述べた。更に、宮殿や庭園などの奢侈を改めるため、洛陽への遷都を提案した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%BC%E5%A5%89

 そうして「古典中国」は形成される。
 このような「古典中国」への動き<が>、災異説に基づき行われたことは、災異説が儒教の中心となりつつあったことを物語る。
 そうした災異説の解釈のために、そして翼奉の上奏でも言われていた、災異説から生まれた革命思想を語るために、緯書<(注72)>が作られていく。」(116~117、119)

 (注72)「「緯」とは「経」(たて糸)に対する「よこ糸」であり、経書に対応する書物(群)を指して緯書と称している。
 七経(『詩』『書』『礼』『楽』『易』『春秋』『孝経』)に対して緯書が作られ、これを七緯(しちい)と総称する。
 狭義の緯書は、経書の注釈として、経書の内容に従って書かれた書物を指しているが、緯書は、天文占など未来記としての讖記(しんき)と同様の内容を含むものも含んでいる。よって、広義では、緯と讖とを総称して緯書と呼んでいる。また、讖緯(しんい)の説、讖緯思想という呼ばれ方もする。前漢末から後漢にかけて隆盛し、後漢では内学とまで呼ばれた。・・・
 また神話や伝説、迷信などを含む一方、天文や暦法、地理などの史料を豊富に含んでいる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%AF%E6%9B%B8
 「春秋戦国時代の天文占などに由来する讖記の方も、緯書の中に採り入れられて、やがては、それらも、孔子の言であるとされるようになった。・・・
 讖緯説が著しく発展したのは、王莽の新の時代である。王莽の即位を予言する瑞石が発見された、とされ、王莽自身も、それを利用して漢朝を事実上簒奪した。・・・
 後漢の光武帝も、讖緯説を利用して即位している。・・・
 讖緯の説は、その飛躍の時代である王莽の新の時代以来、王朝革命、易姓革命と深く結びつく密接不可分な存在であったため、時の権力からは常に危険視されていた。よって、南北朝以来、歴代の王朝は讖緯の書を禁書扱いし、その流通を禁圧している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%96%E7%B7%AF

⇒支那大陸に残った弥生人たる広義の楚人達が、黄河文明の虚飾と迷信まみれの後裔達によって、汚染され、転落していく過程を突き付けられているようで、いたたまれない思いがさせられます。(太田)

(続く)