太田述正コラム#13834(2023.11.6)
<渡邊義浩『漢帝国–400年の興亡』を読む(その33)>(2024.2.1公開)
「班固は、『史記』の短所を改めることを目指した。
父の班彪は、『史記』には次の4つの改善点があるという。
第一は、多くの見聞や記録を載せるよう努め、史実の選択を厳正にしていないこと。
第二は、黄老思想を尊び、儒教を価値基準の中心に置かないこと。
第三は、項羽を本紀に、陳勝を世家に立てるなど、紀伝体の体裁を破っていること。
第四は、名だけで字がなく、県だけで郡が記されないなど、人名や地名の表記に統一性がないことである・・・。
これを継承した班固の『漢書』は、これら『史記』の欠点を補いながら、自らの特徴を打ち出していく。・・・
班固の『漢書』<が>・・・規範とした儒教経典は、諸侯の『史』である『春秋』ではなく、帝王の治を描く「史」である『尚書』<(注101)>であった。
(注101)「五経の一である『書経』の古名<。>・・・
『書経』は、<支那>古代の歴史書で、伝説の聖人である堯・舜から夏・殷・周王朝までの天子や諸侯の政治上の心構えや訓戒・戦いに臨んでの檄文などが記載されている。・・・
『書経』には秦の穆公<(前出)>の記載があるため、全体が一書として成立したのは、早くても秦の穆公が在位を開始した紀元前659年以降である。
古来の通説では、儒教の聖人である孔子が唐虞から秦の穆公までの記録を編纂し、100篇からなる『書経』を作ったとされる。近年の研究では、これは史実であるとは認められないが、『論語』に『書経』の引用が見えることや、孔子の教学として「詩・書・礼・楽」が重視されたことから、孔子の時には何らかの原初的な『書経』は存在していたと考えられる。
『書経』の引用は、先秦の成立とされる書物(『国語』『春秋左氏伝』『孟子』『墨子』『荀子』など)に広く見受けられ、どのような形のものであるかは不明であるが、多くの学者によって『書経』が読まれていたことは確実である。特に、堯・舜・禹に関わる「堯典」「皋陶謨」「禹貢」の三篇は、儒教的古代観を形作る上で大きな役割を果たした。今文二十九篇の全体が、現在と似た形で成書した時期については、『孟子』より後、紀元前3世紀ごろであると考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B8%E7%B5%8C
「唐虞<(とうぐ)とは、支那の>伝説上の聖天子である陶唐氏(尭ぎょう)と有虞氏(舜しゅん)を併せてよぶ名。また、その二人の治めた時代。」
https://kotobank.jp/word/%E5%94%90%E8%99%9E-58000
班固は、『漢書』が、『尚書』を継承することを示すため、堯から始まり秦の穆公の悔恨[秦漢篇]で終る『尚書』に準えて、高祖から始まり王莽の悪政で終るように、『漢書』を構成した。
ここに『漢書』は、「史」の儒教化を達成した。・・・
<班固が、『漢書』に>董仲舒の献策によって五経博士が太学に置かれたという事実に非ざることを書いた理由は、「古典中国」としてのあるべき前漢の姿を描く「史」が、『漢書』だからなのである。」(201~202、208)
⇒「注101」からも分かるように、班彪、班固父子は、儒教が陰陽五行思想(や讖緯思想)を取り入れたところの、儒教カルトの盲信者達であったわけであり、こんなカルトが章帝の時に後漢の国教となり、それが、「古典支那」概念を確立させることになったことは、支那の悲劇以外の何物でもなかった、と、私は思います。
この1世紀の頃の人間である蔡倫が紙を事実上発明し、それ以降も、支那で、印刷、火薬、羅針盤、という、世界史に大きな影響を与えた四大技術的発明を次々に生み出すという偉業が11世紀まで、1000年間も続いた
https://kotobank.jp/word/%E8%94%A1%E5%80%AB-68316
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%9B%E5%A4%A7%E7%99%BA%E6%98%8E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B0%E5%88%B7
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB%E8%96%AC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%BD%8D%E7%A3%81%E9%87%9D
だけに、(儒教カルト同様、妄想の産物に他ならないキリスト教の弊害を被りながらも古典ギリシャ科学を比較的早期に継受できたところの地理的意味での西欧とは違って、)儒教カルトによって、支那で(文系科学を含む)科学の発展が阻害されてしまったことが、惜しまれてなりません。(太田)
(続く)