太田述正コラム#2826(2008.10.2)
<二つの記事をめぐって>(2008.11.19公開)
1 始めに
本日読んでおもしろかった記事を二つご紹介します。
本来なら、それぞれを掘り下げて、二つのコラムに仕立てるところですが、軽く流すことにしました。
2 ノーベル賞がとれない米国の小説家
(1)記事
「スウェーデンのアカデミーの常任事務局長のエングダール(Horace Engdahl)はAP通信に対し、米国の作家達は「米国の大衆文化の趨勢に敏感すぎ」、彼らの作品の質が低くなってしまっていると述べた。エングダールは、「米国は孤立し過ぎており、島国根性が過ぎている。彼らは外国の小説を余り翻訳しないし、文学についての大議論に真の意味で参加しようとしない。このような無知が制約となっている。」とも述べた。更に彼は、「すべての偉大な文化には強力な文学が存在することは言うまでもないが、米国ではなく、欧州こそが、依然として文学の世界の中心であるという事実から逃れることはできない。」とも述べた。実際米国人でノーベル文学賞をとったのは1993年のトニ・モリソン(Toni Morrison)が最後だ。
エングダールは、スカンディナビア文学の教授であり文学批評家でもあるが、ノーベル文学賞の受賞者を決める18人のアカデミー会員からなる秘密めかした委員会の常任事務局長を1997年からやっている。一年間にわたって、アカデミーは200人の候補者を5人にまで絞り込むがその名前は公表されない。受賞者は過半数の票を得なければならない。・・・
過去10年間を見ると、ノーベル文学賞受賞者のほとんどが欧州のにおいがするのであって、トルコのオルハン・パムク(Orhan Pamuk)(コラム#1450)、英国のハロルド・ピンター(Harold Pinter)とVS ナイポール(VS Naipaul)(コラム#2646)、オーストリアのエルフリード・イエリネク(Elfriede Jelinek)、ポルトガルのホセ・サラマゴ(Jose Saramago)、ハンガリーのイムレ・ケルテッツ(Imre Kertesz)、フランスのガオ・シンジャン(Gao Xingjian)、ドイツのギュンター・グラス(Gunter Grass)(コラム#423)が賞をとった。このほか、2003年に南アフリカのJM コエツィー(Coetzee)が受賞している。・・・」(
http://www.guardian.co.uk/books/2008/oct/01/us.literature.insular.nobel
。10月2日アクセス)
(2)コメント
ヘミングウェー、フォークナー、スタインベック等々、と米国のノーベル文学賞受賞者はたくさんいるように思いますが、人口比的には、(地理的意味での)欧州の受賞者の方が圧倒的に多いことは確かですね。
第二次世界大戦後は、文学賞や平和賞以外のノーベル賞受賞者の数において、米国が世界の中で他を圧倒していることを考えると不思議です。
これは、欧州に比べて米国は歴史が短いことから人々に歴史的陰影が乏しく、かつ面積が広大であることから人間関係の濃密さに欠ける、ということが原因なのかもしれません。
3 自分自身を客観視できないわれわれ
(1)記事
「われわれは自分自身を客観的に見ることは困難だ。・・・
一般的に言って、気前の良さ、友好的であること、ユーモアのセンスといった「良い」性向に関してはほとんどの人は自分が平均を超えていると思っている。他方、俗物的とか不誠実さといった「悪い」性向に関してはほとんどの人が平均を下回っている・・自分はそれほど俗物的でも不誠実でもない・・と思っている。
こういうわけで、われわれのほとんどは、自分はほかの人々に比べて、より偏見がなく、より人種差別的でなく、より協調的であり、より広告によって影響されることが少ない、と信じ込んでいる。
しかし、他人の偏見や先入観を発見するのには長けていても、われわれは自分自身のそういったものに対しては盲目であることが通例だ。
このおめでたい幻想は自分達のお仲間にまで広げられる。人々は自分達と同じ民族集団は他の民族集団よりも笑い上戸であると思っている・・。自分達と同じ政党を支持していると思われる人々を写真の中から選ばせると、彼らは、自分たちが反対している政党の支持者達と思われる人々を選ばせた場合と比べると、より見栄えの良い人々を選ぶ。つまり、一般的に言って、人々は「仲間」に対してはより好意的な見方をする傾向があるのに対し、よそ者と認識した場合は、違いを誇張するし、仲間に対してはより気前悪く接するものなのだ。・・・
ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)の小説の同名<の主人公であるところの、>18世紀の架空の存在たるヒロインのモル・フランダース(Moll Flanders)は、自負心がありすぎると危険であることに気付く。すなわち、自分を美人だと思い込んでいる女性は誘惑され易いと言うのだ。「もし若い女性がひとたび自分を見栄えがよいと思い込むと、彼女は、男からあなたを愛していると言われるとそれをすべて本当のことだとして疑うことを知らない。というのは、彼女は自分が魅力的だからこそ彼をとりこにしたと信じているからだ。その結果どういうことになるかは想像に難くない。・・・」(
http://judson.blogs.nytimes.com/2008/09/30/wanted-intelligent-aliens-for-a-research-project/index.html?ref=opinion
。10月2日アクセス)
(2)コメント
自分を美人で魅力的だと思い込んでいる女性の皆さん。
本当に美人で魅力的な女性なんて、この世の中にほとんどいやしないのですよ。
だから、自分は決して美人でも魅力的でもないと思っていた方がいいのです。
男にだまされないためにも、そして自分の内面を磨くためにも。
二つの記事をめぐって
- 公開日: