太田述正コラム#2928(2008.11.22)
<皆さんとディスカッション(続x314)>
<遠江人>
 「米国の電子雑誌Japan Focusのコーディネーターのマコーマック(Gavan McCormack)は、日本では「日本は米国に従属し続けなければならないと執拗に言い張る人々が自分達をナショナリストと呼んでいる」と皮肉を言ってますよ(
http://www.atimes.com/atimes/Japan/JF26Dh01.html  
。6月26日アクセス)。」(コラム#2634より抜粋)
 「しょぼい」保守派とは、まさにこのことではないでしょうか。
<衆愚改め、『衆愚政治?』>
 前から自分のハンドルネームが高慢な感じで気にいらなかったので変えます。
 さて、コラム#2830「ノーベル賞がとれない米国の小説家(続)(その1)」を読みました。
 はたしてヘミングウェイは米国人だったのでしょうか。
 人生の大部分をパリやキューバで過ごしていますし、ノーベル賞の金メダルはキューバのコブレにある聖母寺院に献納しています。
 晩年、彼自身”Am I a yankee?”と言ったのはかなり有名です。
 ところが1960年、彼は22年、人生の三分の一近い間住んでいたキューバを離れてアイダホに移り住みます。
 その前年、カストロがバティスタを倒して革命政府を樹立したので、ヘミングウェイがそれを嫌ったという見方もありますが、カストロはヘミングウェイのファンだったし、キューバの民衆に同情していたヘミングウェイはカストロの革命に共感を抱いていたようです。
 (『ヘミングウェイ キューバの日々』(ノルベルト・フェンテス))
 結局、彼は米国人だったのか。
 ファンとしては興味深い所なのです。
<太田>
 「・・・麻生首相の「(医師は)常識が欠落している人が多い」という発言と、津島雄二税調会長(元厚相)が元厚生事務次官宅連続襲撃事件について、「厚労省の仕事の成果を評価できないような論評ばかり。その結果、理不尽な行為につながったら残念だ」と、事件とメディアなどの論評を関連づけて語ったとされる発言。舛添氏は、首相発言について「総理自身、発言を撤回・謝罪したので、反省の上に立って(医師不足対策で)いい成果を出したい」と釈明。津島氏の発言については「仮にも国会審議やメディアの対応が原因であるような発言があれば、私は意見を異にします」と切り捨てた。」
http://www.asahi.com/politics/update/1122/TKY200811220003.html
 私は、9月10日のコラム(#2781)で、「次期自民党総裁/首相は麻生氏で決まりでしょうが、麻生氏が安倍、福田に続く元首相の七光り組の掉尾を飾る、戦後最低の首相として、自民党を崩壊に導くことを心から期待しています。」と記したところですが、予想通りの展開ですね。
 そんな麻生氏を、同氏の主張である、後期高齢者医療制度の見直し、を先取りする形でぶちあげ、同氏にゴマをすって厚労相留任を勝ち取った舛添君(コラム#2436)等、麻生氏を自民党総裁に推した自民党議員達は、私にとってはありがたい話だけれど、ホントに愚か者ばかりですね。
 2001年の参院選に立候補した舛添君が演説した直後に、ほとんど聴衆がいなくなった池袋駅東口で、自民党の広告塔として立候補した彼を、やはり立候補していた私は、激しく批判する選挙演説を行いました。
 自分の権力欲と名誉欲を満足させるために、当時既に末期症状を呈していた自民党の延命に手を貸した彼の罪は余りにも大きい、と言っておきましょう。
 さて、記事を二つご紹介しておきます。
 ニューヨークタイムスが、大分固まってきたオバマ新政権の陣容の高学歴ぶりを好意的に指摘しています。
 バラク・オバマ(コロンビア、ハーバード・ロー)、妻ミシェル(プリンストン、ハーバード・ロー)、外交スタッフがヒラリー・クリントン(ウェレズレー、エール・ロー)、ジム・スタインバーグ(ハーバード、エール・ロー)、スーザン・ライス(スタンフォード、英オックスフォード博士)、国内スタッフがジェーソン・レヴィン(エール、エール・ロー)、ピーター・オルザグ(プリンストン、英LSE博士)、グレッグ・クレイグ(ハーバード、エール・ロー)・・・。
 これは、過去の政権を超えている、というのです。
 とても、ホワイトハウス詰めの記者の学歴では太刀打ちできない、とニューヨークタイムスらしからぬ弱音を吐いています。
http://www.nytimes.com/2008/11/21/opinion/21brooks.html?ref=opinion&pagewanted=print
 付け加えれば、財務長官に決まった、ティモシー・ガイトナー(ダートマス、ジョンズホプキンス修士)、国防長官に留任するらしいロバート・ゲーツ(ウィリアム&メアリー、ジョージタウン博士)、商務長官に決まったビル・リチャードソン(タフト、タフト修士)、司法長官に決まったエリック・ホルダー(コロンビア・コロンビア・ロー)(黒人)、安全保障担当補佐官に決まった退役海兵隊大将ジェームス・ジョーンズJR.(ジョージタウン)(めずらしく低学歴!)といったところです。(典拠省略)
 ファイナンシャルタイムスの、英国の気候に関するいくつかの本を対象にした書評も面白かったです。
 英国も何度か(日本で言う神風みたいな)暴風によって侵攻を免れたことがあるとし、(当時はまだ英国はなかったが)紀元前55年及び54年のローマ帝国(カエサル)、そして、1588年のスペイン(フィリップ2世)、更には1796年のフランス(ナポレオン)による侵攻の例を挙げています。
 原文の抜粋を掲げておきます。
 ・・・Britain’s unique geography–sandwiched between an ocean to the west and a continent to the east, and squeezed between tropical air masses to the south and polar air masses to the north. ・・・
 Brits are proud of their island fortress, nearly a thousand years unassailed. But many may not be aware that their unconquered record has less to do with plucky fighting spirit than with the wild winds that haunt their shores. ・・・
 ・・・Julius Caesar who, having vanquished the Gauls, pitched up with an army on the Kent coast in 55BC. But before he could set about invading in earnest, storm and tides conspired to wreck many of his ships, while his cavalry were prevented from reaching England at all. Afraid of being stranded among the barbarians for the winter, mighty Caesar fled back across the Channel. When he returned the following year with an even larger army, he was again struck by a storm that scuppered his ships and prevented the arrival of reinforcements and supplies. Once more he was forced into retreat. ・・・ it took another 90 years for the Romans to conquer England’s shores successfully.・・・
 ・・・This story recurs throughout history: just as Russia has often been saved by its cruel winter, the British have repeatedly been relieved at the last moment by the unpredictable air masses that surge above them. Much as they might like to think that the cool head and cunning of Sir Francis Drake saved them from a Spanish-speaking destiny, it was really the wind that put paid to the armada in 1588. Two hundred years later in 1796, a French invasion force of 43 ships aiming for Bantry Bay in Ireland’s County Cork met the same fate. If it had not been for the inclement weather, Napoleon might have broken British resistance and taken all Europe and・・・ French might have been the spoken language of Ireland and possibly even England today.・・・
http://www.ft.com/cms/s/0/fb35cff8-b75b-11dd-8e01-0000779fd18c.html
(11月22日アクセス)
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太田述正コラム#2929(2008.11.22)
<金融危機と米国及び韓国>
→非公開