太田述正コラム#13894(2023.12.7)
<母のことなど(その2)>(2024.3.2公開)
どうして春子と名付けられたのか?
祖父母は、男の子がじゃんじゃん生まれたので、女の子は(多分男女ともの初めての子である)長女を花子と名付けたけれど、もう勘弁してくれと、次のは末子と名付けたにもかかわらず、また生まれたので今度は留子と名付け・・この留子伯母は中年になってから、自分の名前が嫌だったので美智子と改名しました・・、そこに、私の母が生まれたので、ついに諦めて春子と名付けたというのです。
(末子や留子といった名付け方は、戦前じゃあ、結構あったようですね。
全く同じケースが出ていました。↓
https://kakuyomu.jp/works/16817139556890482586/episodes/16817139557936101417
もっとも、留子の「留」って、意味、決して悪くないようですが・・。
https://pon-navi.net/nazuke/name/%E7%95%99%E5%AD%90 )
恐らくは、夏子、秋子、冬子、と続くことを覚悟していたのでしょうが、幸か不幸か、女の子は春子で打ち止めになった、というわけです。
じゃあ、男の子の方はどうだったのか?
私がかつて石垣成一というペンネームを使ったことがあって、それが比較的早く亡くなった伯父の名前をなぞったものである的なことを当コラムに書いたことがあると思いますが、伯父の本名は生一なのです。
ペンネームを考えた当時、私はてっきり精一だと思い込んでいたのですが、その後、母に確かめたらそうではないと言われたのです。
その折、末子、留子のいわれを知っていたので、そりゃそうだわな、と、妙に納得したものです。
一番最初に生まれた男の子だから生一!
女の子の場合と違って、男の子達、後に続けよ、と、気合が入ってますよね。
(なお、その後は、勇(いさむ)、健(けん)、・・と、一字名が続きます。
ひょっとして、その頃、松浦氏(注)のことを知って、それに倣ったのかしら。)
(注1)「松浦氏<は、>・・・嵯峨源氏の子孫と称する肥前国松浦(まつら)郡(<現在の>佐賀県東松浦(ひがしまつうら)郡・西松浦郡、長崎県南松浦郡・北松浦郡)に居住した一族の呼称<であり、>源姓で一字名を名のることを特徴とする。」
https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E6%B5%A6%E6%B0%8F-136792
さて、冒頭に登場した従姉、私の父母の誕生日を聞いてきた時にこの伯父の話になったところ、彼女まで、どういうわけか、精一だと思い込んでいたので訂正してあげました。
脱線しますが、この生一伯父、石垣一家で飛びぬけた大秀才だったらしいのです。
従姉も私もこの伯父の出身校を知らないのですが、彼女によると、丸紅入社がロッキード事件の時に話題になった大久保利春(注2)氏と同期だったとのこと。
(注2)1914~1991年。「大久保利通の孫、かつ、高橋是清の孫<。>・・・ロッキード事件に際し、<1976年>2月17日、第77回国会に証人として招致されたが、そのときは丸紅の専務であった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E6%98%A5
(続く)