太田述正コラム#13900(2023.12.10)
<母のことなど(その5)>(2024.3.5公開)

 今にして思えば、母のこの特技を私が知っている兄弟姉妹の中で唯一人共有していたのが健叔父です。
 彼は、同じ三重県ながら、遠く離れた志摩の先島半島の和具
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%91%A9%E7%94%BA%E5%92%8C%E5%85%B7
の網元の笹山家に長女の婿養子として入り、その後、その家の長男が復員してきたので、網元を継がず、真珠養殖業を始め、成功を収め、主養殖場を志摩→西伊豆→五島列島、と移し、その西伊豆時代に中・高生だった私は、毎夏、別荘代わりに彼の西伊豆(西浦木負(注4))の別宅・・といっても古い草ぶき/汲み取りの民家ですが・・に泊まらせてもらったものですが、2001年に私が参院選比例区の民主党公認候補に決まった時に志摩の本宅にいた叔父にその旨を連絡すると、ただちに、私がたじたじするくらい積極的に支援活動を始めてくれ、自民党の官房長官にもなった藤波孝生衆院議員(伊勢出身)の有力後援者であった時の知り合い、全国にいる水産大の友人達、趣味のハーモニカの神奈川県居住の師匠や同好者達、等に幅広く私を紹介してくれました。

(注4)川瀬巴水(かわせはすい)の木版画で木負から富士山を望む風景をご覧あれ。
https://www.hangasw.com/gallery/1765/
 絶景でしょう。


[藤波孝生と山村健]

 藤波については、伊勢神宮との関係等で前にも取り上げたことがある(コラム#省略)が、リクルート受託収賄で有罪になったところ、健叔父は、これに憤り、支援を止めたと言っていた。
 「1999年10月に上告が棄却され、懲役3年・執行猶予4年の有罪が確定した。公職政治家が収賄罪で有罪が確定すれば執行猶予でも執行猶予満了まで公民権停止となり公職失職となるが、1985年3月の事件当時はその制度がなく(そもそも、公職政治家の収賄罪有罪確定での公民権停止規定はリクルート事件がきっかけで新しく制定された)、憲法の遡及処罰禁止規定(39条前段)により、収賄罪で執行猶予の有罪が確定しても国会議員として在職することができた。2000年の第42回総選挙では、民主党の山村健に3千票差まで迫られたが議席を守った」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%B3%A2%E5%AD%9D%E7%94%9F
ところ、山村健は「比例復活により初当選を果たす。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9D%91%E5%81%A5
 健叔父は、藤波から山村に支援先を切り替えていたのだろう、私を、伊勢市の山村の事務所に連れて行き、山村衆院議員(当時)に私を紹介してくれた。

 彼が、任期途中で辞任した(上掲)のは、快男子であった彼のために惜しまれてならない。

 出身の四日市にも知り合いが多く、同市の岡田克也衆院議員(当時、民主党)の四日市事務所から私を支援するという約束を取り付けた上で、私に東京でそれまで面識がなかった岡田君のところへ挨拶に行くように「指示」されたのには呆気にとられたものです。
 この叔父・・子供は女性一人(婚外子)・・は、その後、随分経ってからですが、老人性鬱で自殺してしまいます。
 母の話に戻しますが、母が第一子(男)を妊娠したところ、主治医・・確か馬場というお名前です・・から中絶を言い渡され、泣く泣くその通りにしたのですが、次に身ごもった時、この主治医に自分は死んでもいいからこの子を産むと宣言し、私を産んだのです。

(続く)