太田述正コラム#2856(2008.10.17)
<リューヴェン・ブレナーの歴史観(その1)>(2008.12.3公開)
1 始めに
 リューヴェン・ブレナー(Reuven_Brenner。1947年)の名前を知ったのは、賭博を人間の経済行動、ひいては政治行動の基本と見る理論を構築した学者としてです。
 彼は、ノーベル経済学賞候補に取りざたされているようです(
http://www.atimes.com/atimes/Global_Economy/JJ15Dj08.html
http://72.14.235.104/search?q=cache:RmqbnB-I0-wJ:www.departmentofoffense.com/+A+World+of+Chance:+Betting+on+Religion,+Games,+Wall+Street,+by+Reuven+and+Gabrielle+A+Brenner+with+Aaron+Brown&hl=ja&ct=clnk&cd=29&gl=jp
(どちらも10月15日アクセス)による。)
 私は、彼の理論に依拠することで、米国が経済超大国となった理由が解明できるのではないか、と思っています。
 しかし、それについてご説明する前に、ブレナーと彼の歴史観をご紹介しようと思い立ちました。
2 ブレナーについて
 ブレナーは第二次世界大戦中に強制収容所に入れられていた両親の子供として1947年にルーマニアで生まれ、イスラエルに移住し、陸軍で勤務し、6日間戦争とヨム・キプル戦争を戦いました。イスラエルのヘブライ(Hebrew)大学で学士号、修士号、博士号を取得。
 彼は現在、カナダのモントリオールのマクギル(McGill)大学の経済学教授をする傍ら、米国のバンク・オブ・アメリカ等のコンサルタントをしたりしています。
 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Reuven_Brenner
(10月17日アクセス)等による。)
3 ブレナーの歴史観
 (以下、A:http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/EK20Ak01.html
     B:http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/FF23Aa01.html
(どちらも10月17日アクセス)による。)
 サミュエル・ハンチントンは、<『文明の衝突』において、>「最も重要なことは、多文明世界においては、欧米が他の諸文明の内情(affairs)に介入することは、不安定性と潜在的な世界大の紛争の唯一最大の原因になるだろうということを認識することだ」と結論づける。・・・これはナンセンス(meaningless)か間違いだ。
 <前段は、ナンセンスだ。> コミュニケーションのチャネルが沢山あるのに「介入」するななんて言われても、他の諸文明に欧米が影響しない方法があったら教えて欲しいくらいだ。一体ハンチントンの世界認識はどうなっているのだろうか。
 放送を、無線通信を、通商を禁止しろとでも言うのか。医薬品を売ったり与えたりするのを止めろと言うのか。石油を買うのを中止しろと言うのか。
 後段はハンチントンは間違っている。「勃興しつつある諸文明」、例えばナチスドイツや共産主義ロシアを敗北させることは、諸紛争を減少させ、人々の福祉を増進したはずだ。・・・
 現在のイスラム教の諸集団と欧米との紛争、及びイスラム諸社会の内なる紛争は、「動的(mobile)」文明と「静的(immobile)」文明との間の紛争であると見ることができる。・・・米国を特徴付けるものは、「動的文明」の物の見方を身につけている人の割合が他のどの国よりも多いことだ。・・・
 農業諸社会の主要な様相は、それが静的であるところだ。これらの社会では・・産業革命まではほとんど大部分の社会がそうだったし、現在でも社会の過半はそうだが・・富は土地から産出される。・・・
 静的な社会においても<一見動的に見える>商人がいないところはない。しかし、中東のバザールにおける商人は、(あるいは、フランスの小商店主だってそうだが、)政府が商人や小商店主(フランスのケースでは、複雑な価格統制も課せられている)にささやかな地域独占を認めている点で、交渉権の<自由という>原則を享受していない。・・・
 <すなわち、静的社会から動的社会への変化は>「地位(status)」から「契約(contract)」<への変化なのだ。>
 <静的社会においては、人々は>略奪者<による略奪>と徴税当局<による徴税>の<リスクとの>間で<翻弄されており>、徴税当局は<略奪者による略奪から守ってやるとの含意の下に>みかじめ料を徴税するが、その額は人々が逃散しない程度にとどめなければならない。逃散が不可能で、徴税額が高くなりすぎると、静的社会の人々は時として叛乱を起こした。・・・
 <静的社会の宗教の典型例がイスラム教だ。>
 <オーストラリアの哲学者>ジェームス・フランクリン(James Franklin<。1953年~>)は、彼の著書’Science of Conjecture’ の中で、イスラム法においては、「制度(institution)」の概念が欠如しており、また、「リスクをを伴う契約という観念は生き残ってはいるものの、それを禁止する目的のためだけに生き残っている」と述べている。そして、「預言者<ムハンマド>は、権威主義的伝統に則り、偶然(chance)のゲームを禁じるとともに、いかなるガラール(gharar)、すなわちリスク、不確実性、または投機を伴う契約をも禁じた」と付け加えている。イスラム法の下では、人々は鳥々が巣に戻ると思われてもそれらが空を飛んでいる間にそれらを売ることはできない。穀物の先物を売ることもできないし、水が浅くその水が売り手に属していて確実に捕まえられる場合を除き、水中の魚を売ることもできない。
 <イスラム教においては、>宗教は「原理主義的」になり、神が間違っていることはありえず、従って人間は神と議論をすることすら許されない。(これを旧約聖書における態度と比較してみよ。そこに登場する人物達は神と絶え間なく議論し交渉するし、聖書に書かれていることの解釈についても絶え間なく議論が行われる。)・・・
 トルコのケマル・アタチュルク(Kemal Ataturk)は、ほぼ1世紀前に、宗教と国家とを分離した。トルコはこれを断行した唯一のイスラム国家だ。・・・
 1917年の10月革命の前の2世紀間のロシアを考えてみよ。この200年間にわたってロシア正教会は1721年にピョートル大帝が制定した教会規則(Ecclesiastical Regulation)によって導入された諸原理に基づいて統治されてきた。この規則によれば、教会は政府から独立した機関(institution)であることを止め、教会の管理は国家の役割となった。ピョートルの表向きの目的は、彼の権力に対する国内からの挑戦の可能性の芽を摘むところにあった。しかし、彼のこの目的は、恐らく意図せざることだったろうが、それをはるかに超える結果をもたらした。すなわち、新たな「静的」文明を作り出したのだ。・・・
 (以上、Bによる。)
(続く)