太田述正コラム#2950(2008.12.3)
<皆さんとディスカッション(続x325)>
<FUKO>
≫民主党には、天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕までしか期待はしていません。ただし、それが日本が「独立」する前提条件である、と私は固く信じているのです。≪(コラム#。太田)
お答えありがとうございます。
ところでこんな記事が出ていたのですが、「天下りの全廃を含む、政官業癒着構造の粉砕」は大丈夫でしょうか・・・
【大連立の次は超大連立】
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081130/plc0811301917006-n1.htm
<太田>
小沢氏など、虚像こそふくれあがっているけれど、その実態は政治ゴロに毛が生えた程度の人物に過ぎません(コラム#2913(未公開)等)。彼の言うことなど、まともにとりあっちゃダメですよ。
<FUKO>
太田氏のおっしゃる「直接民主主義の青二才さ」がよく分からずにいたのですが、このような
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081130-OYT1T00554.htm?from=main4
ことを指すのでしょうか?
<太田>
多くの社会において、貧者は金持ちに反感を持っていますが、そのような社会で民主主義を導入すれば、貧者による政権が成立し、その政権は、往々にして金持ちからの収奪政策を推進することになります。
現在のタイ情勢を極度に単純化すると、空港等を占拠している人々は、かかる貧者の政権(行政府と議会)に反発する少数派たる金持ち達であり、それを特権階級(金持ちの味方)である軍上層部が間接的に支援している、という図式になります。
これは、青臭い民主主義(たる直接民主主義)の現れなのではなく、民主主義の根源的アポリア(難問)の現れなのです。
青臭い民主主義(たる直接民主主義)の例として私が頭に思い浮かべているのは、例えば、ペロポネソス戦争(コラム#908~912)を推進したアテネ・・文字通りの直接民主制でした・・であり、国民多数の声を代弁した将校達によって5.15事件や満州事変が引き起こされた1930年代初めの日本です。
なお、タイの最新情勢については、次の2つの記事をどうぞ。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/12/01/AR2008120100482_pf.html
http://www.guardian.co.uk/world/2008/dec/02/analysis-thailand-government-judicial-coup
それでは、その他の記事です。
日本人による「旨味」の発見とその欧米への普及についてのガーディアンの記事は面白い。英国は今頃、「旨味」に注目し始めたようです。
http://www.guardian.co.uk/lifeandstyle/2008/dec/03/umami-food-ingrediant-japan
昨日読んだ、アジアタイムス掲載の匿名(Spengler)論考
http://www.atimes.com/atimes/China/JL02Ad01.html
は久しぶりのヒットです。
彼によれば、「・・・3,600万人の支那人の子供達がピアノを習っているが、米国では600万人にとどまる。・・・科学的研究によれば、<クラシック>音楽を習うと6歳の子供達のIQが高くなる。・・・米国の医学大学院は、医学準備コース専攻者の次に<クラシック>音楽専攻者をたくさん入学させている・・・」というのです。
Spenglerはこれに続いて、クラシック音楽を習うことは、忍耐力、勤勉性、更には(スポーツの練習よりもはるかに)集中力を高めるだけでなく、数学や物理学の勉強とは違って、クラシック音楽演奏の妙は、楽譜に書いてある音符の長さを微妙に変えるところにあることから、創造力をも培う、と指摘しています。
ここまでは、音の強弱の妙に触れていない点はさておき、私としてもおおむね同感ですが、その先がいけません。
Spenglerは、支那人ピアニストとして活躍しているランラン(Lang Lang)のモーツアルト・ピアノ協奏曲24番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=oDkCGQHfPlI
を聴くと、音符の長さを微妙に変えるランランの遊び心が伝わってくるが、これはモーツアルトの曲が持つ諧謔性を見事にとらえたものである、という趣旨のことを記しています。
しかしランランは、演奏の際に曲に感情移入をし過ぎているように見えることともあいまって、私には、あたかも気まぐれにピアノを弾き流しているように聞こえました。
そこで、彼が演奏する他の曲も聴いてみることにしました。
こうしてランランによるショパンのノクターン8番の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=fXKqUiLiTcc&feature=related
を聴いてみたところ、今指摘したランランの特徴というか欠点が、より鮮明に出ているではありませんか。
(ランランのこの2つの演奏には、五つ星がつけられていません。一般聴衆の耳は確かです!)
(ユーチューブ上で、同じ曲を弾く他のピアニストの演奏をすぐには発見できなかったところ、)更に、ショパンのノクターン2番を弾く3人のピアニストによる4つの演奏とノクターン8番を弾くランランの上記演奏とを聞き比べてみました。ちなみに、この4つの演奏には、すべて五つ星がつけられています。
それは、ショパンコンクールで史上最も若い18歳で優勝した、支那人のユンディー・リー(Yundi Li)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=ljD8KqrABjg&feature=related、
同じくリーによる、別の時の演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=EvxS_bJ0yOU&feature=related、
そして、
ユダヤ系ポーランド人のルービンシュタイン(Arthur Rubinstein)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=YGRO05WcNDk&feature=related、
ロシア人作曲家のラフマニノフ(Sergei Rachmaninoff)による演奏
http://jp.youtube.com/watch?v=kj3CHx3TDzw&feature=related
の4つです。
この4つの演奏のいずれもが、ランランの演奏よりレベルが高い、と感じました。
ところで、この4つの順番は、たまたまピアニストの年の順になっていますが、私による評価の逆順です。
もっとはっきり申し上げると、リーの演奏は、ランランの演奏とは違って感情移入過多にこそ見えないものの、テンポが速過ぎる点が気になるほか、やはり、弾き流しているという印象を免れず、ラフマニノフやルービンシュタインと比べると、はっきり見劣りがします。まあ、リーはまだ若いので、これからもっとうまくなるかもしれませんがね。
というわけで、ピアニストを見る限り、支那人の「独創性」はまだまだ恐れるに足らず、といったところでしょうか。
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太田述正コラム#2951(2008.12.3)
<ムンバイでのテロ(続)(その1)>
→非公開
皆さんとディスカッション(続x325)
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今日の朝日新聞2面で、ランラン(Lang Lang、郎朗)が世界へ飛躍した中国若手ピアニストとして記事にされています。生まれは瀋陽、満州族であることを誇りにしていて、彼の父は文革によって音楽家になる夢を断たれ、ランランに夢を託し猛烈な音楽修行をさせたようです。北京の音楽学校に学び、海外コンクールで経験を積み、14歳で米国のカーティス音楽院から奨学金全額とグランドピアノ付きのアパートをもらって才能を磨いたとのこと。毎週異なる国でピアノを弾くほど世界中を飛び回っていて、空港とホテル、会場への道しか見られないのが欲求不満のようですが、ランランは今後どんなピアニストになっていくんでしょうね。
ところで、無知で申し訳ないですが、満州人も支那人に含まれるんでしょうか? 欧州人のように、支那文明をいただいてることを考えれば、支那人と総称すればいいのか…?