太田述正コラム#13954(2024.1.6)
<映画評論114:始皇帝 天下統一>(2024.4.2公開)

1 始めに

Amazon Primeで、またもや、TV映画シリーズを鑑賞し始めてしまい、しまったと思いつつも、連日見入ってしまったのが、『始皇帝 天下統一』シリーズ<(2020年)>です。
https://www.ch-ginga.jp/detail/shikoutei/#intro
 なんと全78回という超大長編であり、現時点では、第9回まで見終わった段階
https://www.ch-ginga.jp/detail/shikoutei/episodelist.html
で、第8回あたりから急に作りが雑になってきている感もあり、もう少し先を見た上で、最後まで鑑賞するかどうかを決めたいと思っています。

2 本題

 TV映画なのに、あれだけ大勢のエキストラや金がかかるであろうSFXを駆使していることに、まず、目を丸くしました。
 中身で、ここまでで印象に残っているのは、一つは、秦の首都の咸陽
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%B8%E9%99%BD%E5%B8%82
も、趙の首都の邯鄲
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AF%E9%84%B2%E5%B8%82
も、城壁の外は草原ないし荒野で田畑が見当たらないどころか木さえ生えていないことです。
 咸陽の方はともかく、邯鄲の方は、現在の河北省の南端であり、いささか驚きました。
 時代考証がきちんと行われているのかどうかは知りませんが、こんな基本的なことで脚色するとは考えにくいので、恐らく史実なのでしょう。
 もう一つは、秦の昭襄王(BC325~BC251年)、孝文王(BC302~BC250年)、荘襄王(BC281~BC247年)の三代・・荘襄王は始皇帝の父・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E8%A5%84%E7%8E%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E6%96%87%E7%8E%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%98%E8%A5%84%E7%8E%8B
が、いずれも、実態は弥生人的ないし普通人的な人物達である(上掲典拠群参照)にもかかわらず、縄文的弥生人的に描かれているのは、私(わたくし)的には、日本の武士(縄文的弥生人)像を彼らに投影した結果であるように思えました。
 それに対し、始皇帝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%8B%E7%9A%87%E5%B8%9D
についてだけは、幼少期から弥生人的に描いていることは興味深く感じました。
 ところで、このシリーズ初期における準主役は、荘襄王と始皇帝に仕えたところの、「奇貨居くべし」で有名な、呂不韋(りょふい。?~BC235年)、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%82%E4%B8%8D%E9%9F%8B ※
ですが、彼が商人出身であるが故に、ことあるごとに秦や趙の支配階層の人々から蔑まれるのですが、この商人蔑視が、儒教的な考え方の投影なのか、史実なのか、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86
定かではなく、呂不韋の邦語ウィキペディア(※)には手掛かりが全くありませんが、英語ウィキペディア・・Lü Buweiの・・には、’ In the West, we would regard Lü as a merchant-prince, a patron of culture and literature, an eminent statesman and wise counsellor, a kind of Medici prince who influenced not merely Florence and Italy, but all of European civilization. But in China the facts of Lü’s life, together with the fact that he was from the despised merchant class, condemned Lü in the eyes of the Han literati. They considered Qin and its unification of China an unmitigated evil. So Lü was in their eyes a parvenu and a fraud whose schemes had made possible Qin’s evil. He was a baleful figure, richly deserving of condemnation and eminently worthy of ridicule and calumny.’
https://en.wikipedia.org/wiki/L%C3%BC_Buwei
という、「儒教的な考え方の投影」説に立った興味深い記述が出てきます。