太田述正コラム#13990(2024.1.24)
<映画評論114:始皇帝 天下統一(続x18)>(2024.4.20公開)

 荀子(BC298/313~BC238年以降)。「人間の性を「悪」すなわち利己的存在と認め、君子は本性を「偽」(人為的なもの)、すなわち後天的努力(すなわち学問を修めること)によって修正して善へと向かい、統治者となるべきことを勧めた。この性悪説の立場から、孟子の性善説を荀子は批判し<、その上で、一種の、>社会契約説<や>・・・メリトクラシー<、を>・・・説いた。・・・

⇒「孟子自身は「革命」という言葉を用いていないものの、その天命説は明らかに後の易姓革命説の原型をなしている。・・・この論理は当時の宗教権威を論証に介しているものの、意義と目的という面において2000年後のヨーロッパで提唱された社会契約論と同一であると言える。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E5%AD%90 前掲
というわけだが、確かにその通りと言いたくなる。
 というのも、「孟子の対立思想として、荀子の性悪説が挙げられる。しかし、孟子は人間の本性として「四端」があると述べただけであって、それを努力して伸ばさない限り人間は禽獸(社会性を持たない動物)同然の存在だと言ったように、人間を持つ善性を絶対的に肯定していたわけではない。また、それゆえに学問を深め道徳を身につけた君子は人民を指導する資格があるとする。一方、荀子は人間の本性とは無限なる欲望であり、欲望に従順なままでは他人を思いやることも譲り合って争いを避けることもできない。そのため学問や礼儀といった「偽」(こしらえもの、人為の意)を身に付けるようになり、それらの後天的な努力によって公共善に向うことができると主張した。
 教育を通じて良き徳を身に付けると説く点では、実に両者とも同じであり、「人間の持つ可能性への信頼」がそれらの思想の根底にある。両者の違いは、孟子が人間の主体的な努力によって社会全体まで統治できるという楽観的な唯心主義であったに対して、荀子は統治者がまず社会に制度を制定して型を作らなければ人間はよくならないという社会システム重視の考えに立ったところにある。前者は後世に朱子学のような主観中心主義への道を開き、後者は荀子の弟子たちによって法家思想へと発展していった。」(上掲)。
 他方、「ホッブス<は、>・・・かつて人間は、法律も政府も知らない自然状態(ステート・オブ・ネイチュア)にあったが、ここでは、各人が自然権を行使すれば相互に殺し合うという危険な状態も生じた(万人の万人に対する闘争状態)<とするのに対し、>・・・ロックの自然状態は、初期には確かに欲望を抑制することを教える自然法がそこに存在していることによって平和状態だとされているが、人間がいったん貨幣を発明し財産を蓄積し始める(私有財産制)と、闘争、強盗、詐欺などの不都合が生じるとされている。そこで、ロックは、人々はその所有権(プロパティ―生命のほかに自由、生活手段としての財産を含む)を守るために契約を結んで政治社会(コミュニティ)をつくった、と説明している。」
https://kotobank.jp/word/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%A5%91%E7%B4%84%E8%AA%AC-75578
からだ。
 すなわち、ホッブスは荀子に、ロックは孟子に、似ていると言える。
 なお、人間主義が人間の本性であると考える私からすると、その限りにおいて、ホッブス/荀子よりもロック/孟子の方が私の考え方により近い、ということになりそうだ。(太田)

 <また、>天人相関思想(「天」が人間の行為に感応して禍福を降すという思想)を否定した。・・・
 荀子の弟子としては、韓非・李斯・・・などが記録に現れる。韓非・李斯は荀子の統治思想を批判的に継承した。韓非・李斯は、外的規範である「礼」の思想をさらに進めて「法」による人間の制御を説き、韓非は法家思想の大成者となり、李斯は法家の実務の完成者となった。ただし、「法家思想」そのものは荀子や韓非の生まれる前から存在しており、荀子の思想から法家思想が誕生した、というのは誤りである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%80%E5%AD%90