太田述正コラム#14030(2024.2.13)
<映画評論115:孫子兵法(その15)>(2024.5.10公開)
[鉄器]
「孫子 兵法」には、呉の名刀匠の話が出てくるが、刀などというありふれた武器も鉄製、就中、ちょうど孫子の生存中に出現した可能性がある白心可鍛鋳鉄(下出)製らしき刀ともなれば・・。↓
「本格的に製鉄が開始されたのは春秋時代中期にあたる紀元前600年ごろであり、戦国時代になって鉄製の武器も使われるようになった。
一方の東アジア北部では中国よりも早くに鉄器が伝わり、沿海州では紀元前1000年頃に鉄器時代を迎えている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3
「青銅の鋳造技術はメソポタミアにはあったが、鉄の鋳造技術は紀元前7世紀頃の中国で開発された。鉄の鋳造は可能となったものの、それは黒鉛を含有しないチルと呼ばれる硬くて脆い鋳鉄だった。紀元前470年頃にはそれを約900〜1000度の酸化鉄内で3日間加熱して白心可鍛鋳鉄にする技術があったという研究もある」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84
(参考)「<支那>人は、鉄混合物にリンを6%まで加えると、融点が通常の千百度から九百五十度に下がることを知っていた。この技術が中国で普及するのは6世紀である。一方、西洋で鋳鉄が広く使用されるようになるのは、1380年以降である。」
https://spc.jst.go.jp/experiences/impressions/impr_09006.html
と、想像を膨らませたのだが、「越王勾践剣」も、「呉王夫差矛(やり)」も、青銅製だった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E7%8E%8B%E5%8B%BE%E8%B7%B5%E5%89%A3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E7%8E%8B%E5%A4%AB%E5%B7%AE%E7%9F%9B
ので、いささか拍子抜けした。
ただ、この囲み記事はともかくとして、当時、鉄製の剣や矛が出現していた可能性はあるわけであり、春秋戦国時代の支那(華夏)は文明のレベルが世界最高峰の社会であった、と言ってよいのではないでしょうか。
もう一つ気付いたのは、これも、「始皇帝 天下統一」と「孫子 兵法」に共通していることですが、宗教にからむ場面が皆無であることです。
強いて言えば、前者で、華陽太后
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E9%99%BD%E5%A4%AA%E5%90%8E
が亀朴(注24)を自分でやっている画面があったけれど、亀朴は、いわばくじ引きのようなもので、宗教とまでは言えないでしょう。
(注24)「占いに使う亀の甲羅は、腹甲を乾燥させ薄く加工したものを用いる。甲羅に溝や穴を開けた部分に燃やして熱い波波迦木(ははかぎ、上溝桜)あるいは箒(サクラなどの木片)を押し付け、ヒビが入った状態から吉凶や方角を占う。甲羅を直接炎で加熱することはない。
起源は古代<支那>大陸で、殷の時代に盛んに行われていた。占いの結果などを彫り込んだのが甲骨文字である。漢代には衰え始め、唐代になると卜官も絶えた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E5%8D%9C
この世俗化度から見れば、春秋戦国時代の支那は、近現代を通り越して、人類の未来を先取りしていた、とさえ言えるのかもしれません。
(そんな支那が、一転してしまった理由とその経緯を、できれば次回のオフ会「講演」原稿に盛り込みたいと思っています。)
(続く)