太田述正コラム#14036(2024.2.16)
<映画評論115:孫子兵法(その18)>(2024.5.13公開)

 では、一体全体、どうして、帝国なるものは、宗教に絡めとられ、その科学技術は停滞す、るのでしょうか。
 私の仮説は、「同質に近い小国分立」であれば、古典ギリシャのように、(Albert O. Hirschman(注26)の言葉を借りれば、)不満を抱いた住民達がVoice手段・・投票で統治者を罷免する・・もとれる場合であればなおさらですが、一般に、不満を抱いた住民達がExit手段・・他の隣接等小国に逃散する・・をとることができるので、その不満を沸点以下に抑えることが比較的容易であるのに対し、一旦帝国が形成されてしまって、古代ローマ帝国のようにVoice手段があればまだしも、(異質の外国への逃散は平均逃亡距離が延伸されることと相俟って心理的ハードルが高いことから、)Exit手段が事実上なくなってしまうと、住民達の不満を沸点以下に抑えるためには、宗教というアヘンで住民達の意識を鈍磨させる必要が生じるとともに、それまでは脅威が他の小国群、と、異質の「大国/大勢力」の二本立てだったのが、前者が消滅することで戦争が大幅に減少するため、軍事技術の研究開発意欲が衰え、この二つの要素が相俟って科学技術の停滞をもたらす、というものです。

 (注26)1915~2012年。「ドイツ出身の経済学者。専門は政治経済学、開発経済学。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBO%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3 その著書の、’Exit, Voice and Loyalty’について。↓
https://jfn.josuikai.net/semi/itamizemi/books/books03.html
 私は、この本を、スタンフォード大政治学科のあるゼミで必須文献の一つとして読まされた。

 その上でですが、支那の帝国に係る特異な問題は、一体全体、かかる機能を果たしたところの宗教は何だったのか、が、必ずしも明らかではないことです。
 よく、支那の宗教は、支配階層は儒教、被支配階層は道教、的なことが言われますが、「儒教は宗教ではないが、その中国に果たしてきた役割からすると、欧米のキリスト教に匹敵する<。>・・・
 <(ちなみに、>「儒」は、ニンベンに「需」(古義は「しっとりとして柔らかい」)。以下、学研『漢字源』改訂第6版(2018)p.139より引用。
【コア】柔らかい【初義】学問を修め、教養のある人【語源】古人は「儒は濡なり、柔なり、弱なり」と語源を捉えている。教養によって身を潤す人、あるいは、たけだけしい武人に対して、柔弱な文人が儒<。)>」(「宗教から見る中国の歴史」より)
https://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/waseda20220705.html
ことは確かであり、例えば、かの高名なる「マックス・ウェーバー<も、論文の>・・・<「>儒教と道教<」で、>・・・儒教の果たした役割とその思想、そして派生である道教について考察し、プロテスタントとの差異と類似点を論じた<。>」
https://bookmeter.com/books/213290
と、儒教をプロテスタンティズムと同じ次元のものとして、つまりは、宗教として、対置させています。
 しかし、「<支那>の宗教は多様であるが、漢族を主体とする中華民族の本物の代表的な民族宗教は道教しかない。
 宋儒はかつて仏教の経典のある説を参考にし、宗教的色彩の濃い理気学を完成したが、しかし彼らは儒学の宗教化の傾向を断固として否定した。・・・<(いずれにせよ、>儒学は宗教の色彩に如何に染められても、・・・<あくまでも>学説の1種として存在しつづけて、国家の政治理念に関する学問として利用された。<)>」(翁其銀「中国人の養生観とその文化・宗教的背景」より)
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/4494437/002_p013.pdf
という理解が正しいようです。
 今度のオフ会「講演」原稿で、このテーマをもう少し掘り下げるつもりなのですが、うまくいきますかどうか。

(取り敢えず完)