太田述正コラム#14038(2024.2.17)
<岡本隆司『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む(その1)>(2024.5.14公開)
1 始めに
「檀上寛『陸海の工作–明朝の興亡』を読む」の続きは再び後回しにし、表記のシリーズを始めることにしました。
ちなみに、岡本隆司(たかし。1965年~)は、神戸大文卒、京大博士課程満期退学、同大博士(文学)、宮崎大教育学部講師、助教授、京都府立大文助教授、准教授、享受、大平正芳記念賞/サントリー学芸賞/アジア・太平洋賞/樫山純三賞受賞、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E9%9A%86%E5%8F%B8
という人物です。
正直に申し上げれば、この本の広告をネットで見つけた時、あ、自分が考えたことを先に書かれてしまったか、と、いささか不安になった次第です。
しかし、実際、この本を入手したところ、いささか失礼ながら、それは杞憂であったことが分かり、胸をなでおろしました。
実は、私は、江南の「上部構造」が統一支那帝国に及ぼした影響に関心を抱き、仮説的なものを思い描くに至っていたところ、著者が、そんなものには余り関心がないことが分かったからです。
2 『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む
「・・・中国を南北に分けてみると、「北方(ペイファン)」と「南方(ナンファン)」の自然・生態は、鮮やかな対のコントラストをなす。
一方は平原・乾燥・畑作・馬、目に映るのはほとんど黄褐色の世界、他方は山谷・湿潤・稲作・船、緑青色の世界である。
南北ともに大河を湛える。
川の存在がペアであるのは当然。
北を流れるのを「黄河」、南を「長江」といい、この呼称もまた対をなす。・・・
しかし中国の対とは、ペアではあっても、現代日本人が思いがちな対等ではありえない。
「文」「武」は両道ではなく優劣である。
父子しかり、男女しかり、官民しかり、華夷しかり。
南北もその例に漏れない。
「極北」といい、「天子は南面す」という。
北は君臨し、南は臣従する。
理論だけではなく、史実もおおむねそうである。
対語には、陰陽というのもある。
遺憾ながら、現在の首都・「北」京を擁する「北方」が、歴史的にみても、どうやら一貫して光のあたる「中原」「中国」だった。・・・
「南方」は「江南」といった。
すぐれて抽象的、原理的な呼び方の「中原」に対し、何とも具体的な固有名詞で、地名・方角を示すにすぎない。
光には翳(かげ)がつきもの、やはり本流・正統からはずれた、日陰ものの扱いなのである。
それなら、陰に隠れた「江南」をあえて前面に出してやりたい。
北と対峙する江南こそが、中国全体を成り立たせてきたと同時に、「一つの中国」を事実上、否定する存在なのであり、中国の多元性を創出、体現してきた。
そればかりではない。
「江南」そのものも複雑、複合的である。・・・
そうした「江南」のありよう・ややこしさにこそ、「中国」理解の核心的契機があると信じる。・・・」(iv~vi)
⇒このあたりでは、私が漠然と考えていたことを、キャッチコピー的な言葉を列挙して具体化してくれているような気が、暫時の間ですが、まだしていました。
しかし・・。(太田)
(続く)