太田述正コラム#14078(2024.3.8)
<岡本隆司『物語 江南の歴史–もうひとつの中国史』を読む(その21)>(2024.6.3公開)

「もっともその安定維持には、いっそう大きな財政支出を強いられた。
 まず国内的には、常備軍・官僚機構の維持・整備である。
 職業軍人の文民統制を徹底し、科挙という試験で登用した文官が行政全般を担当する体制で、文武いずれも年を逐うにつれ、数を増していった。」(92~93)

⇒趙匡胤の父親の趙弘殷は軍人でした・・「若く<して>若く勇敢で、乗馬と弓術に優れていた。・・・500騎を率いて後唐の荘宗皇帝・李舜臣を河で援護し、戦功を挙げたこともある。」・・
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E5%BC%98%E6%AE%B7 DeepL翻訳(中→日)
し、この宋の太祖の趙匡胤も彼の弟で宋の太宗の趙匡義も軍人です。
 すなわち、趙匡胤は、「後周の太祖となる後漢の枢密使郭威の軍に身を投じる。後周の世宗が即位すると近衛軍の将校となる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E5%8C%A1%E8%83%A4
と、バリバリの軍人ですし、趙匡義だって、「学問を好んだ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%97_(%E5%AE%8B)
とはいえ、「太宗志得意滿,下令圍攻燕京,宋軍與遼人在高粱河畔展開激戰。 太宗親臨戰場,結果受傷中箭,乘驢車倉惶撤離,北伐未果。」
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E5%A4%AA%E5%AE%97 Google翻訳(簡体字→繁体字)
と、遼(契丹)との戦いでは、戦場に臨み、負傷までしています。
 つまり、宋の創成期の2人の皇帝は文民ではなく軍人なのであり、2人とも、文字通り、宋軍の総司令官だったわけです。
 にもかかわらず、趙匡義の子で第3代皇帝の真宗は、遼の親征に直面して自らも形の上では親征したものの、宰相の反対を押し切って遼と屈辱的講和をしてしまいます
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E5%AE%97_(%E5%AE%8B)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%87%E6%BA%96
し、その子で第4代皇帝の仁宗に至っては、一切戦争を行わせず、「西夏や遼に対しては銀をはじめとする貢物を贈ることで友好関係を維持する外交を展開」するだけに終わってしまっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AE%97_(%E5%AE%8B)
 つまり、宋の皇帝は、3代目で実質的に、4代目では名実ともに、文民化してしまった、ということであり、宋は、早くも3代目で、滅亡という運命が決定してしまった、と言っても過言ではありません。
 それぞれ、文民化/滅亡決定、の時期に若干の出入りはあるとはいえ、これが、基本的に漢以来の支那の歴代統一王朝のセットパターンだった、というのが私の見解です。
 なお、これまで何度か指摘してきた(コラム#省略)ように、(著者は誤解をもたらすような書き方をしていますが、)「科挙という試験で登用した」のは「文官」だけでなく、「武官」もであるところ、「武官」の方の科挙(注35)は、「文官」のそれに比べると、かなり杜撰なものでしたし、「文民統制」されることもあり、頭脳が優秀な者はもとより、身体能力において傑出した者すら、「武官」の「科挙」の受験などしなかったと思われます。(太田)

 (注35)「武科挙(武挙、清代には武経と呼ばれた)とと呼ばれていた。対し、一般的に言われている文官登用試験は対比して文科挙といわれる。・・・
 試験の内容は馬騎、歩射、地球(武郷試から)と筆記試験(学科試験)が課された。
・馬騎 – 乗馬した状態から3本の矢を射る。いわゆる騎射。
・歩射 – 50歩離れたところから円形の的に向かって5本の矢を射る。
・地球 – 高所にある的を騎射によって打ち落とす。
・技勇 – 青龍偃月刀の演武、弓を引く強さや持ち上げる石の重さを計る。
 矢の的に当たる本数、引ける弓の強さ、持ち上げる石の重さが採点基準となる。学科試験には、『孫子』などの『武経七書』の兵法書に関する問題が出題された。しかし、総外れもしくは落馬しない限りは合格だったり、カンニングもかなり試験官から大目に見られたりと文科挙とは違う構造をしていた。また伝統的に武官はかなり軽んじられており、同じ位階でも文官は武官に対する命令権を持っていた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%91%E6%8C%99
 (↑ずっと以前にも引用紹介したことがある。(コラム#省略))

(続く)